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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

 5月5日(月)ナゴヤドーム「中日」vs「阪神」戦のチケット発売日     2008/03/30 

■ ……は、3月29日(土)午前10時だった。筋肉番付、サスケ、マッスル・ミュージカルが大好きなぼくの次男は、昨年秋の日本シリーズ・中日 vs 日ハム 戦を契機に突如プロ野球の面白さに目覚めてしまった。さらに「星野ジャパン」が北京オリンピック予選を台湾を舞台に必死の覚悟で勝ち抜いた試合「対・韓国戦」「台湾戦」をHDに録画して以来、学校から帰ってくれば、ひとり留守番の時には即テレビを付けて「この録画試合」を見ている。ほとんど毎日、繰り返し繰り返し見ている。もう、何十回と見ているのに飽きないのだ。1番「荒木」2番「井端」ストッパー「岩瀬」。次男の脳裏には、彼らの一挙手一投足が鮮明に記憶されている。

そうして何時しか、彼は「ドラゴンズ・ファン」となっていた。どこから見つけてきたのか、荒木の応援歌をネットで聴いて、歌詞をノートに書き写している。そんな彼の願いは、ナゴヤドームの内野スタンドで手書きしてきた大きな立て看板(「荒木ガンバレ!」と書かれている)を振りながら応援歌を声高らかに歌うことなのだ。

■たしか去年のGWに、ナゴヤドームで巨人中日戦の観戦をぼくが企画したのだが、その時には妻と息子たちから無碍にも直ちに却下された。で、仕方なく「浅草行き」となったのだな。今年は、5月4日が当番医なのでGWは遠出ができない。そこで再び、ナゴヤドームで阪神・中日戦観戦を提案してみた。すると即座に次男の目の色が変わった。自分でネットを検索して、5月5日(月)ナゴヤドーム「中日」vs「阪神」戦のチケット発売日が、3月29日(土)の午前10時であることを調べ上げた。

ところがこの日は、当院受付スタッフの一人が休みのため、妻が受付に出ることになっており、誰も次男のチケット購入のサポートができない。ぼくも流石に、診療中の患者さんに「午前10時になったから、ちょっと待ってね!」と言って待たせておいてから「チケットぴあ」に接続して観戦チケットの購入手続きに入る訳にはいかなかった。道義上ね。

そんな訳で、中村の母(子供たちの母方の祖母)が息子を連れてローソンに行き、ローソン・チケット購入の手助けをすることになったのだが、GWにプロ野球の観戦チケットを取るのは想像以上に困難を伴ったようだ。幸い、バイトの兄ちゃんがとっても親切で、困っている祖母と子供たちに代わって接続機器を操作し、いろいろと頑張ってみてくれたのだが、結局、内野席(1塁側・3塁側)も、外野席(ライト・レフト)も4つ連続で確保することはできず(確保できても席は4つバラバラになってしまう)息子たちは購入をあきらめて帰ってきた。

次男はすっかり肩を落として、しょんぼりとため息をつくばかり。朝の勢いは何処へ行ってしまったのか。仕方ないので、診療終了後の午後3時過ぎ、ぼくは次男を連れて「サークルK」へ行った。ここの端末からもう一度チケット購入に挑戦してみようというワケだ。パートのオバチャンは薄倖の父子とでも思ったのか、決して面倒くさがらず何度も条件を変えて検索してみてくれた。ありがたいことです。でもやっぱり、4席続けて確保でず離れてしまうので、結局あきめて家へ帰った。

それでもと思って、ネットにつないで「チケットぴあ」を調べてみたら、何回かチャレンジして、3塁側のパノラマA席の最上部に4席続けて席を確保できたのだった。あぁよかった。本当によかった(こんなことなら、もっと早くにネットで予約すればよかったのにね(^^;;) でも内野席ではないから、次男が「荒木」のプラカードを掲げても、選手からはたぶん見えないだろうなぁ(^^;;)

■そんなかんなでバタバタしていたから、すっかり出発が遅くなってしまったが、この日は「春休み特別企画」八ヶ岳・北杜市大泉「御宿ん路湖」宿泊の予約を入れてあったのだ。宿に到着したのは午後6時。中央道から、雪をたたえた富士山がよーく見えたよ。夕食は、リクエストしておいた「ふきのとうのスパゲティ」に「麻婆豆腐」、岩魚の塩焼きに、ホタテのクリームコロッケ、韓国ワカメのスープ、新ジャガの煮っ転がし、長芋と大根のサラダ、大根と柚の酢の物、ふきのとうの酢味噌あえ。他にもあったような気がするが、忘れてしまった。忘れたと言えば、デジカメを忘れてきたので、料理の写真はなしです。ゴメンナサイ。

それにしても、いつ来ても美味しいねぇ、ホント! 満足でした。ごちそうさまデス。

よる9時からのお茶の時間には、焼き芋と「おうぎょうち」。それに定番の「スイカの種」が出された。もう腹一杯で食べられないのにね、でも無理して食べちゃう。それほど美味しい。勿論、台湾産烏龍茶に、自家製の梅酒もじつに美味しかったなあ。一般的ペンションの値段を考えると割高かもしれないけど、ここはマジでオススメですよ。

 「明日の最終回もお楽しみに!」           2008/03/28 

■いやぁ、この半年間、泣いて笑って毎回「濃い〜15分間」を楽しませてもらってきた『ちりとてちん』だが、いよいよ明日で最終回を迎える。オーラス前の今日も、ボロボロ泣いた。朝2回、お昼、夜7時半と、4回見た(もちろん録画もしてある。残念ながら 8:15 からのヴァージョンではない)が、4回とも泣いた。そー来たか! 驚いたねぇ。これほどまで「反・朝ドラ」のポリシーを貫き通すとは思いも寄りませんでしたよ。

後ろ向きで妬みっぽく、常にイジイジしてるヒロインが、最後に見つけた「自分のなりたいもの」が、専業主婦であるおかあさんだったとは!! これは脚本家の「視聴者への挑戦状」なんでしょうね。スッゴイなぁ。ぼくはいつも、毎朝BS2で 7:30 から見てるから、必然的に 7:45 からの『都の風』もついでに見てきたので、余計にそう思う。この『都の風』が「典型的なNHKの朝ドラ」なんですね。京都の老舗呉服問屋「竹田屋」三女のヒロイン(加納みゆき)は、掛け替えのない青春と恋人を「戦争」に奪われ、戦後の大変な時期を「良き妻」として「良き母」として「良き娘」として「良き妹」として、決して挫けず諦めず、常に前向きに明日を信じて生き抜き、さらには進歩的な「自立する女性」として、女性下着メーカーの女社長の地位を築くのだった。実在のモデルがあるのかもしれないが、そんなのありえねぇよなあ。

『ちりとてちん』は、そんな今までの「NHK朝の連続テレビ小説」に対する「アンチテーゼ」だったんだね。いや、驚きました。

■驚いたと言えば、朝2回目の放送を見終わって、さて仕事に行くかとテレビを消して立とうとしたら、続く「NHK8時半のニュース」の冒頭、アナウンサーの森本健成さんがニッコリと微笑んでから「明日の最終回もお楽しみに!」と言ったのだ。「おぉ!!」これには驚いたね。以前、エキサイト・ニュースで「朝ドラあけのアナウンサーの表情」のナゾという話題が載ったが、ぼくの妻は「いや、アナウンサーはニュースの前に、モニターで絶対『ちりとてちん』を見てる!」そう断言した。本当に見ていたんだねぇ。うれしいじゃないか。

録画には失敗したが、待てよ? こういう時こその「YouTube」だろ? ふと、思い立って検索してみたら、早速にアップして下さった奇特な方がいらっしゃったではありませんか! それはこちらです。

「もっさん」


「2ちゃんねる」の「ちりとてちん板」を読むと、「イヤホンで聞いてたら、この森本発言の直後、スタジオ内にどよめきが起こったのが聞き取れた」という投稿が載っていたが、ボリュームを上げて聞くと、確かに「おぉ〜!」って、場内どよめいていますねえ(^^;) 画期的なことだったんだなあ。

■ググッたら、<こんなサイト>もあったよ。
「さとなおさん」も泣いたんだね(^^;; おんなじだね(^^;)

 ニョッキを作ってみた           2008/03/26 

『ちいさい・おおきい・よわい・つよい no.62』の特集は、「どうなの?”子育てパパ”ブームって」という、最近の流行に乗り遅れまいと無理して「パパザウルス」を目指しているパパたちを揶揄するような特集だった。でもそれって、団塊の世代のパパたちが決して成し得なかった父親像を、ただ嫉妬しているだけなんじゃないか? いや、山田真先生なんかは、それこそ何十年も前から、同じ小児科医の奥さん(梅村浄さん)と家事を分担して、障害のある娘さんの世話もしてきた「子育てパパ」のパイオニアではないか。

とは言え、この「ちいお」の特集で面白かったことは、子育てに追われる母親が夫に求める最優先ポイントが「家事の軽減」であるということが分かったことだ。家事すなわち、掃除・洗濯・物干し・洗濯物たたみ・夕食の準備・食器の片付け、風呂掃除と湯沸かし、新聞紙・ダンボールの紐結わえ、ゴミ出し、などなどのことだ。このうちの1つでも夫に負担してもらえれば、妻として母として、どれほどの有効な時間が生まれるか。ぼくは普段なにもしてないなぁ。風呂にお湯を入れるくらいか。

■昨日も今日も、診察室に子供を連れてくる父親の姿が目立った。忙しい母親に代わって、仕事を抜け出してやってきたのだ。子供の病状の説明もテキパキと要を得ている。慣れたものだ。こういう父親は今やぜんぜん珍しくはない。時代は確実に変わりつつあるのだ。

■先月、当医院の常勤スタッフが急に3週間休むことになって、妻が代わりに薬局と受付事務に立った。午前も午後も、フルタイムでだ。2〜3日とか、隔日で1週間とか言えば、彼女にとって大したことはなかったのだろうが、連日朝8時から夜7時過ぎまで2週間以上続いて、さすがに参ってしまったようだ。何せ、息子2人に、3人目の子供のような振る舞いしかしない夫がリビングを散らかし放題で、しかも、掃除も洗濯も食事の準備も、一切手伝ってはくれないのだから。挙げ句の果てに、男3人で「メシはまだかぁ!」とテレビを見ながら箸をドンドン叩きながら騒ぎ出す始末。あれ、このシチュエーションって、どこかで見たことあるぞ、そうだ! 絵本『おんぶはこりごり』アンソニー・ブラウン作、藤本朝巳・訳(平凡社)そのものだぞ(^^;;)

■まあ、そんな反省もあって「これから毎週水曜日は、おとうさんが夕食を作るぞ!」と、先週思わず子供と妻の前でそう宣言してしまった。いや、失言だったね。いまさら発言を撤回できないので、仕方なく水曜日には台所に立つこととなった。じつに久しぶりだ。ダッチオーヴンも埃を被ったままだしねぇ。 先週の水曜日には、マカロニ・ポテトグラタンを作った。ちょっと塩気が強すぎて、グラタン大好きの子供たちは珍しくグラタンを残した。一生懸命作っても、食べてもらえないと切ないものだね。

で、今日は失敗が許されないから、先日 TSUTAYA で買ってきた虎の巻『決定版・失敗ナシ!はじめての男の手料理』山本麗子(講談社)を取りだして吟味したよ。そしたら、90ページに「じゃがいものニョッキ」が載っていた。これだっ! 先週のジャガイモも残っているし。
じつは他にも参考文献があったのだ。それは、こちらの「くまぶろ」で以前紹介されていたものです。今回は、ニョッキ・アマトリチャーナ(面倒くさいのでベルシャインでレトルトソースを購入したのだ)と、ブルーチーズのニョッキを作ってみた。ブルーチーズって、結構しょっぱいんだね。でも、初めて作ってみたわりには、ニョッキ、美味しくできたな。子供たちも妻も、残さず食べてくれたし(^^;;


 『パパ力、はじめよう!〜子どもで人生を変えた男たち』(オレンジページ)2008/03/23 

■今日の日曜日は「春の高校伊那駅伝」。長野朝日放送の中継をテレビで見ていて、トップの佐久長聖高校が第2中継所でタスキを第3走者に渡したのを確認してから自宅を出てナイスロードへ選手の応援に向かった。ところが、ヤマダ電機に着く前にすでに10位ぐらいまでのチームは続々と通過してしまっていた。すっげぇ速い。全国の有力な招待高が通過してずいぶん経ってから、地元の県内高が通過する。おっ!今年はわが伊那北高校は速いんじゃぁないか?

第3走者が最後に胸突き八丁の急坂を登り切ると、高遠小原JA前の第3中継所。ここから折り返して、ナイスロードを第4走者が戻って来る。9km強あるこの第3、第4区間に、各チームはエースを投入している。だから見応えがあるのだ。復路を帰ってくる選手が再びヤマダ電機前を通過するまで間があるから、いったん自宅へ帰ろうかとも思ったが、それも面倒なので、ヤマダ電機に入ってテレビ売場で駅伝の中継を見ながら現在の走行位置を確認し、タイミングを見計らってから再び沿道へ出る。それにしても、今年の佐久長聖高校は圧倒的な強さを見せつけた。独走だったな。

4区第2位は、広島世羅高校エース、ケニア人留学生のビタン・カロキ。3000m 自己ベストタイムが13秒38。ものすげー速かったぞ。それにしても、あたま小せぇなあ。10頭身以上だね。走りが美しいのだ。

■自宅に戻ってから、近所の清水耳鼻科所有の空地で次男とキャッチボールをして、その後ちょいと昼寝。早めの夕食をとってから、午後7時からの伊那中央病院「小児一次救急」の当番に出向く。午後9時20分までに5人の子供を診る。合間の時間で先日図書館から借りてきた『パパ力、はじめよう!〜子どもで人生を変えた男たち』歌代幸子(オレンジページ)を読了。2時間もあれば読める本だが、これはなかなかにイイ本でした。ただ、1575円は高すぎるな。Amazon で送料無料になるからこの値段設定なのか?

著者は「子どもで人生を変えた男たち」8人を丹念に取材し、彼らの生きざまを見事に活写しているのだが、個性的な8人の父親がみな変に肩に力が入っていず、あくまでも自然体で我が子や妻と向かい合っている姿が目に浮かんできた。あぁ、そうか! 無理しなくてもいいんだな。見た目格好良くても、実際はジタバタ、悪戦苦闘のカッコわりぃ父親の日々があるのだなぁ。安心しました(^^;)

大切なことは、父親は家庭から逃げ出さすことなく、妻、子供たちと真正面から向き合って、真摯に日々過ごしていこうという覚悟が必要だということ。

1)安藤哲也「楽しむ力」 安藤さんは、パパ's 絵本プロジェクトの本家。
  最新刊『パパの極意』安藤哲也(NHK出版生活人新書)は、先日買ってきたばかり。これから読みます。
2)古賀稔彦「自分に打ち勝つ力」 漫画「一二の三四郎」にも登場した、柔道の古賀!
3)河相我聞「共感する力」 先日、NHKお昼の「スタジオ・パーク」で見た。若いのにしっかりしてるねぇ。
4)平山ユージ「挑戦する力」 フリークライマー。やはりテレビで見た。彼の家はスウェーデンハウスだ。
5)家本賢太郎「つなぐ力」 この人は知らなかったな。医学的にこういうことがありうるんだ。
6)相田 清「守る力」 再婚して年してできた我が子を見つめ育てる父親の姿がすばらしい。
7)込山正徳「再生する力」 この人のエッセイ『パパの涙で子は育つ』(ポプラ社)は「ポプラビーチ」連載中から読んでいた。でも、本にはならなかった「その後」の試練こそが、読み応えあるねぇ。再婚者の連れ子(女の子)が高機能自閉症だったのだが、182ページに載っている彼女が書いた「友だち」っていう詩がとにかく素晴らしい。感動しました。

8)汐見稔幸「教育家からのメッセージ」 汐見先生が書いた本は好きだけれども、何だかいつも「たてまえ」でしか語っていないような気がして、そこがちょっと不満だな。

9)著者の「終わりに」を読むと、すっごく身につまされるよねぇ(^^;;
そこで子育てに悩む母親たちに話を聞くと、「夫」の存在にいきつく。結婚後も生活を変えない”マイペース夫”や”独身夫”がいる。夫は仕事を続け、趣味も大切にするが、妻は家庭で育児に追われていく。一人、悩みを抱えても、その辛さを吐き出せず、つい目の前の子どもに当たってしまうことも……。妻たちは、決して家事や育児の手助けを期待しているのではない。夫に求めているのは、少しでも話を聞き、気持を受けとめてくれること。ただ、「私を分かってほしい」という思いだったのである。
俺なんか、まさに「結婚後も生活を変えないマイペース夫」そのものだよなぁと、反省するのだった。(もう少し続く!)

  

 『ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム 1993-2008』(朝日新聞社)2008/03/20 

■出たという噂は聞いていたから、Amazon で注文しなくちゃなと思いながら、昨日「いなっせ」の西澤書店へ寄ったら、新刊書の棚に思いがけず「この本」を発見した。うれしかったなぁ。このヴォリュームでCD1枚分とほぼ同じ値段。安い!  あの名著『これは恋ではない』から、ほぼ10年ぶりのご挨拶。やぁ、どうも。お元気でなによりデス。

■それにしても希有な書き手だね、小西康陽さんは。文章の最初の1行を読んだだけで「ほわん」と、しあわせな気持になれる。昨日まであんなに落ち込んでいたのにね(^^;; 例えば、8〜9ページの「あなたのオーディオ装置は正しく接続されていますか?」の文章はいいなぁ。
 きょうはこのページを借りて、あなたの頭の中のオーディオ装置をチェックしたいと思います。
 人間なら誰でも頭の中に、あるいは耳の奥に、かなり高性能のハードディスク・レコーダーを備えているのです。
 このページを読んでいる人なら誰でもみな、好きなアーティストの大好きな曲、というものがあるでしょう。

 それではいまから、あなたの頭の中で、その曲を最初から最後まで再生してみてください。

 いかがですか。あなたの頭の中で正しく再生されましたか?
 いくつかチェックすべきポイントを書いておきます。
 まずイントロからきちんと再生されましたか?
 頭の中のテープレコーダーは人それぞれ。イントロから流れ出した人は意外と少ないかもしれません。歌い出しや、器楽曲なら知っているメロディのところから、あるいはいちばん好きな歌詞の部分からいきなり始まる、という人もいるかもしれません。  
いや、まいったなぁ。こういうこと言った人、いままで一人もいなかったよ。ぼくもよく、iPod を忘れた時なんかは「頭の中のHD」にメモリーされた「好きな曲」を再生させる。今までけっこう高性能HDだと自負してきたのだが、小西康陽さんにこう訊かれて「よし!」とばかりに、ぼくの大好きな曲、Pharoah Sanders 『You've Got To Have Freedom』を頭の中で再生してみた。すると、あれれ? イントロ、どんなんだったっけ? 聞こえてきたのは、曲の後半、ベースの「ぶんぶん」唸る音に被さってジョン・ヒックスのピアノが元気よく飛び跳ねる場面だった。しかも、音はモノラル。夢ならカラーで見れるのに。

■小西康陽氏は、1959年2月3日札幌生まれ。1958年生まれのぼくとは同学年になる。女子では山口百恵も1959年の早生まれだな。

この本にはサプライズが隠されていて、ネタをバラしてしまうが「本のカバー」を外すと、表紙の全面にも3段組みで文章が載っているのだ。「僕がエディトリアルに目覚めた頃」と題されたこの文章は、本書の中の文章の再録ではない。この表紙のためだけの文章なのだ。読んでみると、彼の雑誌遍歴が、ぼくの「それ」とかなり似通っていることに驚いてしまう。いや、重要なことは、彼が北海道でぼくは信州の田舎者、お互い東京生まれの江戸っ子でもないのに、小学生から高校生になるまでのうちに既に同じサブカルチャーを体験しているという事実だ。彼は家庭教師の先生からの影響で、ぼくの場合は年の離れた大学生の長兄の影響。兄が買ってくる『ガロ』や『話の特集』を盗み読みしていろいろと覚えたのだ。

月刊漫画雑誌『少年』、週刊『少年マガジン』、ジョージ秋山、ちばてつや、大伴昌司。それから『ガロ』の佐々木マキや、つげ義春。真崎守、山上たつひこ、長井勝一編集長、辰巳ヨシヒロ。それから、イラストレーターの宇野亜喜良、矢吹申彦、小島武、河村要助、湯村輝彦、そして、和田誠に堀内誠一。

それから、『話の特集』の矢崎泰久編集長に『ミュージックマガジン』の中村とうよう氏。植草甚一さんが編集長だった『ワンダーランド』の書き手には、小林信彦、淀川長治、筒井康隆、それから片岡義男がいた。伊丹十三責任編集『モノンクル』ぼくもぜんぶ買ってましたよ。
植草さんを看板にしていた頃の『ワンダーランド』っていうのは、いまのカルチャー誌のようなバイヤーズガイドとは言えないし、ライフスタイルマガジンとも言えない気がする。むしろ『話の特集』にたいして、晶文社カルチャーが雑誌を出したって感じだったと思う。この頃の晶文社ってすごかったしね。本屋でも晶文社コーナーは異彩を放っていた。『ワンダーランド』の活字って新聞活字なんですよ。紙も新聞の紙に近いものを使っているんじゃないかな。(中略)

ぼくが植草さんに影響をうけたのは、むしろ生き方みたいなもの。散歩というのは、お金を使わない限りは散歩じゃない、っていうのとか、本は最後まで読まなくていいんだっていうのとか。ぼくはとにかく雑誌が好きなんだろうな。ぼくが好きで読んできた作家って、こういう雑誌で知った人ばかりだもん。虫明亜呂無とかさ、色川武大とか、みんな『話の特集』だもん。ぼく、教えてもらうのがすごく好きなの。啓蒙されるのがすごい好き。自分の知らない知識を持ってる人とか、あるいは自分の知らないレコードを持ってる人とか、それだけで尊敬しちゃう。
 こないだ『暮らしの手帖』のアンソロジーが出たでしょう。最近自分のレーベル始めてから、花森安治さんにはすごく興味がある。(『ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム 1993-2008』表紙より。)
彼がこの文章で中で挙げた「彼のヒーローたち」は、そっくりそのまま「ぼくのアイドル」でもある。そのことが、なんだかとっても嬉しくて、幸せな気分にさせてもらえるのだった。

■前著『これは恋ではない』は書庫の奥深くに仕舞ってあるので今は確認できないのだが、ぼくはてっきり背表紙にサイの絵が描かれた(晶文社)の本として出版されたとばかり思い込んでいたのだが、晶文社から見城さんの(幻冬舎)に移った編集者、高畑圭さんの仕事だったのだね。『ぼくは散歩と雑学が好きだった。』の編集者は朝日新聞。確かに「新聞活字」を使っているが、これもちょっと意外。本のレイアウトは晶文社の「それ」ではなくて『暮らしの手帖』の「それ」になっていたことが、とっても興味深いと思った。

いずれにしても、もったいないから、しばらくは「ちびりちびり」と少しずつ読みながら楽しもうと思う。なんだかココロがほっこりしてきたよ(^^)

 『ねこと友だち』いとうひろし作・絵(徳間書店)    2008/03/18 

■先月末に、とある方からガツンと言われて以来、何となくずっと立ち直れないでいたのだが、気候が暖かくなるに従ってますます意味もなく気分は落ち込んでゆく。いやじつは、1年のうちでこの季節が毎年一番ユウウツなのだ。昔からそうだった。4月から生活環境が一新されることが多かったからね。ぼくは(周りも自分も)変化することが苦手だから、3月は緊張するのだな。でも、開業してからは4月になっても場所も人も変わらない日々が続いてきたから「春のユウウツ」をあまり意識しないで過ごしてこれた。でも、今年はダメだ。この地で開業してまる10年を迎える「節目の年」だからかもしれない。4月からは、変わらなきゃな。

■伊那市図書館から『北方水滸伝読本・替天行道』北方謙三(集英社)を借りてきたのは、『西遊記 上・下』平岩弓枝(毎日新聞社)を読み終わった長男が「おとうさん、もっと面白い中国のお話ってないの?」と訊いてきたから、「『水滸伝』だな。梁山泊に108人の豪傑が集結する血湧き肉踊る物語さ!」とは言ってみたものの、どんなストーリーだったか全く憶えていない。これはマズイと『水滸伝(一)』北方謙三(集英社)を高遠町図書館から借りてきたら、息子に本を取られてしまった。この4月から小学6年生になるとは言え、さすがに息子には「北方版・水滸伝」は難しすぎたようだ。でも、読めない漢字、意味の分からない単語を国語辞典、漢和辞典を引きながら、ノートに鉛筆でメモを付けつつ、苦労しながらも3分の1まで読み進んできた。今日も寝る前にベッドで読んでいる。あと18冊も続きがあるのだが、本当に読み切るつもりなんだろうか? ジュブナイル版「水滸伝」にしといた方がよかったんじゃないのか。

4月からクラス替えで4年生になる次男は、先だって「この本読んで!」と、『ねこと友だち』いとうひろし作・絵(徳間書店)を持ってきた。彼は、いとうひろしのファンで、ルラルさんや、異次元マンホールや、アイスクリームの好きなライオンが登場する、いとうひろしさんの不思議なお話が大好きなのだ。1晩では読めない厚さの本なんで、断続的に1週間かけて今日ようやく読了した。ぼくは本のラストを読みながら「おぉっ!」と思ったよ。もしかして、とてつもなく傑作なのかもしれないと。

感動する父親をよそに、次男は妙に白けていた。「えっ? おとうさん、どこが面白かったの?」「お前はね、いつでも話の途中で寝てしまうから、話がつながらないんだよ。いやぁ、いい話だったなぁ。感動だぁ。」「ふ〜ん。よくわかんないなぁ」

「食育」に関していろいろ言われているけれども、そのテキストとして『いわしくん』や、『給食番長』が、もはや定番となっているが、それよりも、『ねこと友だち』のほうがスバラシイのかもしれない。食べるもの、食べられるものの関係が、これほどクリアカットに語られている本を、ぼくは他に知らない。

 『エレクトラ 中上健次の生涯』高山文彦(文藝春秋)  2008/03/16 

■評伝は面白い。去年は『星新一1001話を作った人』最相葉月(新潮社)、その前の年は、春風亭柳朝の評伝『江戸前の男』吉川潮(新潮文庫)と、広沢虎造の評伝『江戸っ子だってねえ』吉川潮(新潮文庫)を読んだ。題材への著者の思い入れが強いほど、一人の人間の「生きざま」がぐいぐいと切実に読者に迫ってくる。この『エレクトラ 中上健次の生涯』は、特にその感が強い。凄い迫力だった。

読みながら、この本の著者の「中上健次体験」とぼく自身の「それ」とが、かなり似通っているなぁと思った。1958年生まれの著者は、故郷・宮崎県高千穂から東京へ出てきた19歳の時に『十九歳の地図』を読んでで初めて中上健次を知ったという。彼と同い年のぼくも、19歳の時に映画『青春の殺人者』長谷川和彦監督作品を東京で見てビックリし、映画の原作『蛇淫』を買ってきて初めて中上健次を読んだ。『十九歳の地図』も『水の女』も読んだ。どちらも映画になっている。前者は柳町光男監督の出世作、後者は神代辰巳監督の後期の傑作『赤い髪の女』。『十八歳、海へ』もたしか映画になっていて、こちらの監督は藤田敏八だったか。ぼくの場合は、いつでも映画が先にあったような気がする。結局ぼくは芥川賞受賞作の『岬』までは読んでいるが、『枯木灘』以降の中上作品を未だ読んでいない。『破壊せよ、とアイラーは言った』は読んだな。

■『北方水滸伝読本・替天行道』北方謙三(集英社)の川上健一氏との対談の中で、北方謙三氏はこんなことを言っている。
 これでも純文学をやっていたときには、けっこう難解なものを書いていたんです。やはり、小説というよりも文学という意識が強かったんでしょう。そのくせ、文学とは何かがわからない。で、あるとき読んだのが中上健次の『岬』という小説で、これは芥川賞を取りましたけれど、読んでみたら下手なんです(笑)。文章を書く力においては中上に劣らない、しかしおれにはこれは書けない。世の中には文学をやるために生まれてきた人間がいるんだと気づいた。それが同世代では中上健次だったんです。
 かれの場合はもっている血の問題とか、いろいろな問題を抱えていて、そうしたテーマを文学を通して表現していくことができる。しかし、自分には提示するものが何もない。ただ単に難しいことを考えて、それを小説にするというようなことばかりやっていた。おれは文学をやるために生まれてきた人間ではない。だけど編集者に叩かれながらも一所懸命書いてきて、文章はけっこう鍛えた。文学はできないかもしれないけれど、小説は書けるかもしれない。そんなふうに考えたんです。(241ページ)
確かに、中上健次は「文学をやるために生まれてきた人間」であった。この『エレクトラ』を読むと、余計にそう思う。しかし、中上健次は「ひとりで」作家として大成した訳ではなかったのだ。いろいろな人たちが登場する。だれ一人として、作家・中上健次が誕生するのに欠くべかざる人間ばかりだ。彼が激しい虐めに合っていた中学生時代に彼を支えたのは、国語教師の山本愛先生であった。「健次は山本愛先生に励まされたことが、大きな自信になったと思います。愛先生の褒め方ふつうじゃありませんでした。あなたは文学的才能があると、ことあるたびに健次にそう言っていましたから。文才があるという程度じゃないんです。文学的才能があると言うんです」(60ページ)

さらには『灰色のコカコーラ』時代の新宿ジャズ喫茶「ジャズビレッジ」フーテンのボスで混血の助監督「リキ」。同人誌「文藝首都」の勝目梓や、小説『十九歳の地図』に登場する「かさぶただらけのマリア」のモデル小林美代子。そうして、のちの妻となる山口かすみとの出会い。さらには、熱烈な編集者・鈴木孝一との格闘の日々。友にして、中上にフォークナーを紹介した文学の恩師である柄谷行人との友情。そういう「さまざまな偶然の奇跡」が積み重なって初めて、「作家・中上健次」が誕生したのだという事実を、「この本」を読んで初めて知ることができた。

「文学をやるために生まれてきた人間」は、もしかすると永山則夫だったのかもしれない。24歳で自殺した兄のことを絶えず念頭において、自分も24歳になったら死ぬんだと思い込んでいたいた中上が、同年、思いがけず自身の娘の誕生によって、妻と娘のために生き永らえようと思ったことが、ぼくには嬉しかった。当時、羽田空港で港湾作業員をして生計を立てていると紹介されていた中上だが、それは確かに事実であったけれども、新宮の実家の母から、結婚してからもずっと仕送りしてもらっていた「ぼんぼん」であったとは、この本を読んで初めて知ったのだった。

 落語「愛宕山」の映像  2008/03/13 

■今日のBS2夜の『ちりとてちん』後の「蔵出しエンタテイメント」は、笑福亭松鶴の十八番「らくだ」だった。先週はなんと、志ん朝の『大工調べ』だったらしい。この日は昭和伊南HPで「両伊那小児科医会」があったので見逃した。もちろん録画もしてない。あちゃ。

■久しぶりで YouTube をチェックしたら、やっぱり本物の落語ブームが来てるのかねぇ、半年前と比べてずいぶんと充実してきているよ! 驚いたねぇ、ほんと。著作権無視のアップで、たぶん期限限定だろうから、見られるうちに以下にリンクしておきますね。これはオススメですよ!

1)『ほんとうのことをいうと』柳家喬太郎
2)『親子酒』十代目・金原亭馬生
3)『愛宕山』古今亭志ん朝
4)「落語国紳士録」「夢で会いましょう」の立川談志と安藤鶴夫(これは貴重な映像だね)
5)『権兵衛狸』立川談志


■柳家小三治『落語家論』(ちくま文庫)にたしか書いてあったと思うが、TBS落語研究会で収録された8代目・桂文楽『干物箱』『つるつる』の映像があって、過去に早朝の『TBSおはよう名人会』で放送されたことがあるという(1987年)。これはぜひ見たいなぁ。ググったら「ニコニコ動画」にあるらしい。(追記:見に行ったら、桂文楽『愛宕山』は映像なしの声だけCDコピーで残念)古今亭志ん朝がTBS落語研究会でやった『愛宕山』は、今月末いよいよ発売される予定のDVDに収録されている。

先だって、NHKで深夜に放送された「上方演芸ホール〜ちりとてちんの落語」の第一夜が、桂文枝の『愛宕山』だった。CDでは、桂文楽、古今亭志ん朝、桂文枝、桂米朝の音源を持っているが、この噺を画像で見たのは初めて。いや面白いなあ。この落語はやはり仕草で見せるのだねえ。だからこそ、桂文楽の『愛宕山』の映像が見たい。やはり仕草で見せる『船徳』や『富久』の映像も残ってないのかなあ。

■『ちりとてちん』で喜代美が「あたごやまさか〜、えーぇえ〜坂、二十五丁目の茶屋のかか。ばば、旦那さん、ちょいと休みなんしーか、しんしん新香でも、うんと食べ、食べりゃうんと坂、やんれ坂、坂、坂と、ハァ、ハァ……」と唄いながら肩を揺するシーンが可愛くて好きなのだが、桂文枝版『愛宕山』には、この唄は出てこない。ちなみに、桂文楽と志ん朝のヴァージョンにも登場しない。桂米朝版『愛宕山』の中で唄われるのだ。番組の中でも、桂吉弥さんが唄は違うと解説していたね。

 絵本作家、長谷川義史さん講演会(箕輪町松島コミュニティーセンター)  2008/03/11 

■3月9日(日)は、午前10時から箕輪町松島コミュニティーセンターで、絵本作家長谷川義史さんの講演会。長谷川さんは1961年生まれ。ぼくより3つ下か。でも見た目は若い。中学生の長男を筆頭に男の子3人の父親。奥さま(あおきひろえさん)も絵本作家さんとのことです。

それにしても、長谷川さんは本当に芸達者ですね。いや、面白い! もう最高!! 絵本作家で(飯野和好さんを除けば)これほどのパフォーマンスを見せてくれた人はいないね。「ライブ紙芝居」、噂には聞いていたけれども、こんなに面白いとは思いもよりませんでしたよ。ウクレレ片手に披露してくださった歌もとてもよかったでした。会場となった2階の大広間は、親子連れでいっぱい。大人子供あわせれば、150人近く集まったんじゃないかな。すっごい動員数だね。

■じつは前日の土曜日の夕方に伊那谷入りした長谷川さんの歓迎会が箕輪町「いな路」で開かれたのですが、主催者白鳥さんのお計らいで、ぼくらパパズの面々(北原・宮脇・伊東)も参加させていただいたのでした。『ちりとてちん』の話題に始まって、剣淵えほん大賞の賞品「北海道産野菜3年分」の謎とか、他では聞けないお話をいろいろしてもらって、すっごく楽しかったでした。

白鳥さん、本当にありがとうございました。

 『ユゴーの不思議な発明』ブライアン・セルズニック著、金原瑞人・訳  2008/03/07 

■本年度コールデコット賞受賞絵本。え? 絵本? いや、確かに絵本だ。見開き一面に鉛筆でスケッチされた絵が158枚もある。でも、542ページもあるこの本は、厚さ5cm近くもありずしりと重い。絵本とは言え、カラーではなくモノクロだ。白黒であること、そこが重要なのだが、これ以上言うとネタバレになってしまう。

それから、この本の挿入画はみな、本の見開きいっぱいに、太めの黒いフレームの内側に描かれた1枚画だ。漫画のようなカット割りの絵の部分は1枚もない。この点も重要だ。

ここのところ忙しかったので、本来なら集中して一晩で読めたはずが、少しずつ読み進んで読了するのに2週間近くかかってしまったのがいけなかったな。注意力が散漫になってしまって、本来の感動が得られなかったのだ。それにぼくの場合、『狂人の太鼓』を読んでいたから、どうしても「それ以上のもの」を求めてしまうのだ。つまりは「文章には書かれていないけれども、絵を読めば描いてある」ということ。その点が正直物足りなかった。

■そうは言っても、この本を読んで得られる読書体験は、他ではちょっと味わえないような醍醐味がある。これ以上言うとネタバレになってしまうので、やはり余計なことが言えない。残念だがね。

■最後に、本を読了後に見に行った、YouTUBE には、「パート1」と、「パート2」があった。

それから、リュミエール兄弟が初めて撮った映画「列車の到着」も有名だが、こちらは映像がないみたいだ。残念。と思ったら「 Lumiere arrival of a train 」で探したら、ちゃんとありましたありました(^^;)

 

 FMラジオ・ショッピング 長瀬真さん、って知ってる?    2008/03/06 

■今週はまた忙しい。インフルエンザは日に5〜6人しかいないのに、なぜか患者さんが多い。そこへきて、昼休みは乳児健診が目白押し。火曜日が南箕輪村4カ月健診、水曜日は旧長谷村まで行って3歳児健診、金曜日は健診センターで3歳児健診がある。

水曜日。長谷での健診が終わって、南アルプス村のパン屋さんでいつものようにクロワッサン20個とチーズ&オニオンパンを買って、車に乗り込みラジオを付けると、FM長野の午後の番組が流れ出す。「♪〜FM、ラジオショッピン〜グ♪♪」DJの紹介に続いて、異様にハイテンションのオバサンが超高速早口で商品紹介を始めた。あ、長瀬真(ながせまこと)さんだ。マシンガンの如く息継ぎもなしに次々と言葉を連射する。とても人間業とは思えない驚異的パフォーマンス。

ぼくは正直言って、この人が苦手だ。聴いているだけで、疲れてしまう。

11年ほど前だったか、ぼくがまだ厚生連富士見高原病院小児科勤務医だったころの話だ。当時の病棟婦長、樋口さんがこう言った。「この間、娘を諏訪の小児歯科へ連れていったのね。そしたら、そこの歯科の先生がすっごく明るいの! ハイ〜っ、どうしましたぁ!って、ニコニコ笑顔でテンション高いのよ。昨日、大学からパートでみえた松澤先生も、明るくて子供のあしらいがすっごく上手かったわよね。北原先生はいつもちょっと暗いから、見習ってみたらどう?」

そう、ぼくの外来は愛想がなく素っ気なく、いつも暗いのだ。でも、当時ですでに15年以上もこのスタイルでやって来ていたので、今さら変えることはできない。樋口婦長にそう言われて、翌日無理してテンション上げて声の調子も1オクターブ高く外来をやってみたのだが、30分で疲れてしまって逆に反動でよけい暗くなってしまった。毎日毎日の外来でしょ、マラソンみたいに持久力が必要なのです。

そこで、長瀬真(ながせまこと)さんだ。この人、オンエア以外の時間は、どんなテンションなんだろうか? 案外無口で、ものすごく暗い雰囲気だったりして(^^;;

■ここの<ほぼ日連載>を読むと、明石家さんまさんは、オンエアはもちろん、オフの私的時間でも変わらずハイテンションを維持し続けているのだそうだ。しかも、睡眠時間は1日3時間のみ!。それが高校生の頃から続いているのだという。やっぱりこの人は「ふつーの人」とは根本的に違う人間なのだね。

 パパズ伊那絵本ライヴ(その42)下伊那郡喬木村「椋鳩十記念館」    2008/03/02 

■先週の日曜日の、下條村立図書館での絵本ライヴ(その41) その覚え書き

1)『はじめまして』
2)『かんかんかん』 のむらさやか(こどものとも012・福音館書店)
  『ひまわり』   和歌山静子(こどものとも年少版 /2001/8月号) → 北原
3)『かごからとびだした』
4)『おだんごぱん』 せたていじ・訳、わきたかず・絵(福音館書店) → 坂本
5)『パンツのはきかた』
6)『いかりのギョーザ』苅田澄子・著、大島妙子・絵(佼成出版社)→    宮脇
7)『おーいかばくん』中川いつこ・詞、あべ弘士・絵(チャイルド本社)
8)『じごくのそうべえ』 田島征彦(童心社) → 倉科
9)『ふうせん』
10)『世界中のこどもたちが』


・子育てに優しい下条村は、図書館もすっごく充実していて大変な蔵書量。新刊もいっぱい。ビックリしました。
<こちら>にも書かれているとおりNHKの取材が入って、当日夕方のローカルニュース「信州645」でその時の模様が流れた。ぼくの髪の毛が寝癖で跳ねていて恥ずかしかったな(^^;) この日のニュースは、日曜日のNHK大河ドラマ『篤姫』終了後の8時45分から再度放送されたので、想像以上に多くの方々が僕らのテレビ映像を目撃したようだ。いや、恥ずかしいなぁ。

■1週間後の日曜日。この日は午前10時半から下伊那郡喬木村「椋鳩十記念館」での絵本ライヴ(その42)。今日はメンバー5人が勢揃い。

1)『はじめまして』
2)『ぶたのたね』 佐々木マキ(絵本館) → 伊東
3)『だるまさんが』 かがくい ひろし(ブロンズ新社)
  『ひまわり』   和歌山静子(こどものとも年少版 /2001/8月号) → 北原
4)『かごからとびだした』
5)『ねぎぼうずのあさたろう』 飯野和好(福音館書店) → 坂本
6)『おーいかばくん』中川いつこ・詞、あべ弘士・絵(チャイルド本社)
7)『いいからいいから』 長谷川義史(絵本館) → 宮脇
8)『ちゃいますちゃいます』内田麟太郎・作、大橋 重信・絵(教育画劇) → 倉科
9)『ふうせん』
10)『世界中のこどもたちが』

・「椋鳩十記念館」は、天竜川東側河岸段丘の一段高台にあるので、会場となった2階視聴覚室から西方(飯田方面)を全面ガラス窓越に眺めると、それはもう素晴らしい眺めでありましたよ。記念館館長さんほか皆様、いろいろと、かえって無理させてしまって、ほんとうにすみませんでした。

 忙しかったこの一週間               2008/02/29 

■いろいろあった、この一週間でした。反省したり、反省したり、反省したり。そればかりだな(^^;

いま、安田南『サム・フィーリング』(FRASCO/ FS-7017) B面を聴いているところ。いいなぁ。なん十年ぶりかなぁ、安田南。そのむかし、FM東京で片岡義男さんといっしょに「気まぐれ飛行船」のDJしてたっけ。自死した西岡恭蔵さんが愛した、むかしむかしの彼女。そう、名曲『プカプカ』のあの彼女が安田南さ。知る人ぞ知るジャズ・シンガーだった。現在は行方知れず。ぼくはこのLPしか持っていないが、たしかにイイ声してる。林光さん作曲の作品がいいな。


2月21日(木)昼休みに、伊那東小学校6年生に「薬物乱用防止」の授業。養護の岡先生ありがとうございました。
        カインズホームで購入した「ラッカーうすめ液」がイマイチ効力不足で、
        折角の「シンナーは怖いよ!」が説得力なかったかなぁ。

2月22日(金)伊那市駅横の「井の頭」蔵元漆戸酒造で、よる6時半から「昔々亭健太郎・落語会」。
        駒ヶ根市出身の二つ目落語家・昔々亭健太郎さんは、伊那北高校の後輩だ。
        応援してあげよう。この日の演目は『牛ほめ』と『ちりとてちん』だったが、
        正直、期待以上のデキだった。ある種諦めきったような破壊的な「与太郎」は、
        彼の芸風として、なかなかにいいんじゃないか?

2月23日(土)長野県立こども病院神経科部長:平林伸一先生の軽度発達障害に関する講演会が
        午後3時から伊那中央病院講堂であった。勉強になったなぁ。終了後、夕方高遠へ。

2月24日(日)下伊那郡下条村の図書館で、午前10時半から「パパズ伊那の絵本ライヴ」。
        <こちら>にも書かれているとおりNHKの取材が入って、当日夕方のローカルニュースで
        その時の模様が流れた。ぼくの髪の毛が寝癖で跳ねていて恥ずかしかったな(^^;)

2月25日(月)よる、上伊那医師会理事会。N先生から「見たよ!NHK。先生また太ったんじゃない?」
        と言われた。余計なお世話だっちゅうの(^^;; 

2月26日(火)夜7時から、上伊那医師会館で「医療情報伝達委員会」。ぼくが委員長なんでね、
        なんにもしないダメ委員長でしたが、最後のおつとめは一生懸命やらせていただきました。

2月27日(水)夕方、北原アンドレア先生からも「見たわよ!NHK。トラや帽子店やってたでしょ?」と言われた。
        『おーいかばくん』を唄ったからね。ふと思ったのだけれど、こういう場合、著作権は
        どうなるんだろうか? 中川ひろたかさんは許してくれるかな?

2月28日(木)夜6時半からプリエキャスレードで、上伊那医師会「学術講演会」。
        信州大学第一内科准教授による「気管支喘息」に関する講演。
        3〜4人の先生から「NHKのニュース見たよ!」と言われた。
        恐るべし!! NHK視聴率。

2月29日(金)伊那中央病院夜間小児一次救急の当番で、よる7時から9時まで出動。
        結局2人だけ診て終了。今日はトラブルなく終わった。ホッとする。
        やれやれだな。




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