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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月/7月><8月><9月><10月><11月><12月>
2007年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月><7,8月><9月><10月><11,12月>
2008年:<1,2月><3月><4月>

●「不定期日記」●

 「杉山三四郎 絵本ライブ」大入り満員御礼       2008/06/28 

■朝9時に岐阜を出発した杉山さんは、12時前に「いなっせ」に到着した。共催の「こどもネット伊那」井上さんほかみなさんが手分けして実にテキパキと動いてくれて、機材の搬入、会場設営もスムーズに完了した。ただこの日は、いなっせ6階ホールで不登校の講演会があったり、下の4階でも大きな会合があったりと、駐車場がいっぱいになってしまい「こどもネット伊那」のスタッフの方が駐車場誘導に苦心してくれた。ありがとうございました。ご来場いただいた皆さまにもご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

■午後3時、いよいよ開演。杉山さん登場の前に、われわれ伊那のパパズ3人で絵本を読む。

 『わがままいもうと』ねじめ正一・文、村上康成・絵(教育画劇)→ 伊東
 『ひまわり』和歌山静子(福音館書店)→ 北原
 『くろずみ小太郎旅日記(その3)妖鬼アメフラシ姫の巻』飯野和好(クレヨンハウス)→ 倉科

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■杉山三四郎さんは、岐阜市で「おおきな木」という絵本専門店の店主をやりながら、『BIG, BIG TREE 杉山三四郎 絵本をうたう』と、『あなたがいるから』という自作自演のCDを2枚も出している凄い人だ。以前からずっと気になっていて、ぜひ一度、ナマで杉山さんの「絵本ライブ」を見てみたいと思っていたのだ。期待どおり、いや、期待以上の「絵本ライブ」だったな。ぼくらも、すっごく刺激を受けたよ。

まずは手遊びで場の雰囲気を和ませ、子供たちを上手に乗せてゆく。「絵本の弾き語り」というのは、絵本をスライドに映しながら、杉山さんが絵本のテキストにオリジナルの曲を付けて、ギブソンのエレアコで弾き語りするのだ。『のびのびのーん』川上隆子(アリス館)『くりくり』ひろかわさえこ(アリス館)『おならうた』谷川俊太郎、飯野和好『ぶきゃぶきゃぶー』内田麟太郎、竹内通雅(講談社)『はんぶんタヌキ』長新太(こぐま社)などを、次々に歌う。『おならうた』以外は前述のCDにも収録されているのだが、後で倉科さんも言っていたけれど、スライドで絵本の絵を見ながら聴くと、じつに楽しい。それから、杉山さんが伸びのある何とも気持のいい「良い声」をしてるんだ、これが。口惜しいけれど。

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最後に、杉山三四郎さんのオリジナル曲『ぼくらのおおきな木の下で』と、『あなたがいるから』の2曲を、ぼくらも前に出ていっしょに歌わせていただく。これがなかなかにいい曲なんだな。杉山さんのお許しがあれば、ぼくらの絵本ライブでも歌わせてもらおうか。

■「こどもネット伊那」の皆さんが、ポスター・チラシ作りや地元新聞への宣伝活動に頑張って下さったのだが、ふたを開けてみないことには、いったいどれくらいの人が見に来てくれるのか皆目見当も付かなかった。結果的には、大人・こども合わせると140人。われわれスタッフも入れると150人以上になったそうだ。やれやれ、本当によかった。イベントを企画するのは楽しいが、終わるまでは気が気でないねぇ。縁の下の力持ちで頑張って下さった「こどもネット伊那」の皆さん、パパズの倉科さん、伊東さん、それから、なんと言っても杉山三四郎さんの熱演に、感謝感謝であります。本当にありがとうございました。

 携帯用小型DVDプレーヤーを買った       2008/06/26 

■水曜日の駒ヶ根市保育協会での講演が、四苦八苦しながらもなんとか終わって本当によかった。演題は「こどもの病気と事故〜保育園での対応の仕方」だ。

今回の秘密兵器は、『小児プライマリ・ケア龍の巻 卒後臨床研修の手引き』日本外来小児科学会・編(医学書院)の付録DVD。上伊那医師会付属准看護学院1年生への小児科学の講義でも以前から大変重宝しているお宝資料だ。ところが、この PowerBook G4 でDVD再生すると、何故だか分からないのだが、プロジェクターに投影できない。准看護学院での講義なら学生さんの数も少ないし、PowerBook G4 の液晶モニターに映して十分見えるのだが100人以上の保育士さんたちに見せるには小さすぎる。

そこで、この間の日曜日にヤマダ電機へ行って、ソニーの携帯用小型DVDプレーヤーを買ってきた。いやじつは、先だって購入した日立プラズマテレビのポイントで買えたのだ。充電電池で5時間稼動する。これはなかなかのスグレ物だ。医師会から借りてきたプロジェクターとも問題なく接続でき、クループや百日咳の動画も、スクリーン上に鮮明に投影できた。ただ、PowerBook G4 上のスライドと、DVDのスライドとを、入力切り替えしながら次々と映していったので、途中でワケが分からなくなってしまい混乱した。この『小児プライマリ・ケア龍の巻、付録DVD』の欠点は、パワーポイントみたいに次々とスライドショーができないことで、次のスライドを見るためには、ひとつ上の階層に戻ってからでないと移動できない。これはものすごく不便。

■しかし、このDVDプレーヤーは案外いろいろと使えるかもしれないな。寝る前にベッド上で、子守歌がわりに古今亭志ん朝の落語のDVDを毎晩見られるのだ。これはいいかもしれない。ただ実際にやってみると、ベッドに横になったままDVDの小さな液晶画面を見るのは、ちょっと苦しい。なにかいい方法はないものだろうか(^^;)

 六代目・三遊亭圓生(その3)         2008/06/21 

■六代目・三遊亭圓生のはなし(つづき)

”寄席育ち”

 現・六代目円生の自伝と芸談である。
 明治三十八年、六つのときから寄席に出ている。はじめ豆仮名太夫というこどもの義太夫語りで、母親が三味線をひいた。
 九つのとき、横浜の新富亭に出ていたら、高座にアナがあいたのをみて、おもしろ半分に”箱根山”という音曲ばなしをやった。話の中にさのさ節を入れてやったら、楽屋でみんながほめた。
 前の晩まで義太夫を語っていたこどもの太夫が、あくる晩からはなしかになった。橘家圓堂。母親が先代の円生と結婚していた。
 それから小円蔵、円好、円窓、円蔵、そして養父の死んだあくる昭和十六年に六代目の円生になった。(p262)

 『わたしの寄席』安藤鶴夫(雪華社)


「黒い蝶」

 私は昭和初年の圓蔵時代から圓生を知っているが、そのころの彼は、あっさりとして嫌味のないだけの、ぱっとしない人であった。戦争中、内地では稼げないので、志ん生と一緒に満州へ渡った。終戦になっても帰国できなかった。その時圓生は、ああ、命があったら、帰国できたら生まれ変わって落語がやりたいと、しんから思ったそうだ。そして、やっと帰ることができて、彼の芸は生まれ変った。

 芸にたずさわる者は、概して他を認めないものであるが、圓生は志ん生を認めて、「初め私は志ん生を川向こうの人に物を言うような話しぶりの人だと思っていたが、あの人と野天で真剣勝負をすると、私は大分斬られることがわかってきた。しかし、道場での試合となったら、打ちこむことができる」そんな意味のことを言っていたが、そうした自信と他を認める心がまえが、晩年のああした圓生にしたのである。(p160)

 『今はむかしの噺家のはなし』宇野信夫(河出文庫)


「落語と私」

 私の少年時代はいつも落語が私についていたが、私は落語家にはならなかった。そして、いま、また、ひとしお、落語に愛着を覚える私である。

 銀座にあった「金春演芸場」は私にとって想い出深い小屋である。たしか、戦争末期に、映画館を改装したものだったが、私たちの中学が麻布にあったので、よくみんなで通ったものである。
 その頃、私たちのクラスでは寄席熱が盛んであって、ある時は、「金春」の高座の下に、三列ほども私たち中学生ばかりが陣どるようなこともあった。(中略)

 円生も小さんも、その頃は、地味な古典派の若手だったが、中学生のくせに渋がって、みんなで支持した。円生は、その頃よく、くすり指の先で額のハエギワをかく、キザなしぐさをしながら、噺をした。それが気に入って、その真似が、私たちの間で流行った。私も、学校の教室で、教師からの質問に答える時など、そんな円生の真似をして仲間を笑わせ、教師をキョトンとさせて、イイ気になっていた。(p373)

 『私は河原乞食・考』小沢昭一(岩波書店)



「ざっと五十年は食えませんよ」

 すごい言葉ですよね。
 こんなこと言われて、それでもやってやろうと思う若者がいまの時代、いったい何人いるでしょうか?

 でも、これが初対面のとき、あたしの師匠の六代目三遊亭圓生から言われたことなんです。(p11)

 『圓楽芸談しゃれ噺』三遊亭圓楽(白夜書房)

 今週のできごと               2008/06/20 

■今週も忙しかったなぁ。

6月17日(火) 昼休みに、高遠第一保育園の内科健診。終了後、例によって絵本タイム。
         『だるまさんが』かがくいひろし(ブロンズ新社)
         『ふってきました』もとしたいずみ・石井聖岳(講談社)
         『しちどぎつね』たじまゆきひこ(くもん出版)

6月18日(水) 午後は、長谷で3歳児健診。終了後急いで自宅へ戻り、着替えてから高速を塩尻へ。
         塩尻市文化センター講堂で、塩尻市内の保育園に勤務する保育士さん200人以上
         の前で「絵本のはなし」を僕の好き勝手に2時間みっちりさせていただく。
         呼んで下さったのは、塩尻市子育て支援センター所長だった牧野賀子先生。
         牧野先生は、「つくろう・広げようパパ友だちの輪 -- 子育てについて考えるパパの一日」や、
         ぼくらの「南箕輪村図書館での絵本ライヴ」には、塩尻からバスを仕立てて
         塩尻の若いパパたちママたちを多数引き連れて見に来てくれたり、その翌年の、
         「つくろう・ひろげよう パパ友だちの輪」と、ずっとお世話になりっぱなしだ。

         ところが、講演の準備をしていた6月16日(月)。牧野先生が本日未明に亡くなられました、という
         メールが届く。唖然として、あまりにショックが大きくて、とても信じられなかった。
         塩尻市の若いお父さん、お母さん、そして子供たちのために、牧野先生は本当に精力的で
         一生懸命に頑張ってこられた。無念だ。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
         
         ただ、あんまりしんみりしても牧野先生は決して喜んでくれないだろうと思い、
         いつものように、『バナナです』→『マジック絵本』→『だるまさんが』→
         『かんかんかん』→『ぐやんやよん』→『もけらもけら』と、どん引きにもひるまず
         勇気を出してどんどん読む。

         『かんかんかん』の後、日本語の意味を解体して、その語感と口調、リズムだけを楽しむ
         好例として、ラーメンズのCDから「日本語学校アフリカ編」を流した。聴衆のごく一部で
         ものすごく受けた。うれしかったな(^^;; 特に若い女性の保育士さんに受けた。
         終了後の質問で一番に挙がったのは、「ラーメンズのCDはどこで買えるのですか?」だった。

         主催者の塩尻市保育士会を代表して、石曽根園長先生、平林園長先生が、夕食に招待して下さった。
         「蕎麦屋しみず」だ。

         ここの蕎麦は旨かったな。石臼でのそば粉の挽き方の違いから、そば粉を4段階に分別して
         それぞれの粉をこねて蕎麦切りを御馳走してくれたのだ。4つの蕎麦が、喉ごしも歯ごたえも
         まったく異なるので、これには驚いた。ぼくも「そばっ食い」を自認しているつもり
         だったが、こういう楽しみ方は初めてだった。本当においしかった。また行こう。
         園長先生方、ほんとうにごちそうさまでした。

6月19日(木) 昼休みに、美篶中央保育園の内科健診。
         ここの春日園長先生は、若いころ「トラや帽子店」の追っかけをしていたそうだ。
         だから、中川ひろたかさんとも旧知の仲。当然、絵本には造詣が深い。
         ありがたいことに、健診終了後に年少さん、年中さん、年長さん全員を遊戯室に
         集めてゴザの上に座らせて、ぼくが絵本を読ませていただく。

         導入に、年長組の担任の先生が「ワニのおとうさん」という、不思議で、エッチで、今風の
         手遊び歌を、子供たち全員で披露してくれた。これはもう大笑い! スッゴイねぇ(^^;;

         『だるまさんが』かがくいひろし
         『ふってきました』もとしたいずみ・石井聖岳
         『かんかんかん』のむらさやか
         『ドオン!』山下洋輔・長新太(福音館書店)
         『三びきのやぎのがらがらどん』マーシャ・ブラウン

         年少さんまでいたから『しちどぎつね』は止めにして、保育園の本棚に立てかけてあった
         『三びきのやぎのがらがらどん』を最後に読む。
         この絵本は凄いね。今回たくさんの子供たちの前で初めて読んでみたのだが、
         子供たちがみな緊張して、場の空気が「ピーン」と張りつめるのが肌で感じられるのだ。
         この絵本は、読んでみて実に気持ちいいな。また読んでみよう。

6月20日(金) 今日の昼休みは、保健センターで3歳児健診。23人診る。
         健診医師のための駐車スペースに受診者の車が既に停めてあって、ぼくは車を駐車できずに、
         駐車場を求めて右往左往15分くらい時間を無駄にした。それにしても、ふざけた野郎だ。
         健診医師用駐車場のため駐車禁止願います。と書かれた看板をわざわざ移動してから自分の車を
         駐車しているのだね。

         おかげで、3時から始まるはずの午後の診療は、20分遅れとなってしまった。ぷんぷん。
         夜は辰野へ。小佐加で「うな丼」を食ったあと、松尾狭へ蛍を見に行く。
         まさにホタル日和で、何千匹かわからない大量のホタルが乱舞していた。
         しかも、何故か近くにいるホタルたちはみな同期して、ほぼ同時に点滅するのだ。
         これは幻想的だったな。

         三遊亭圓生さんのはなしは、長くなってしまったので、また次回。すみません。


           

 駒ヶ根市保育協会での講演の準備が進まない      2008/06/15 

■今日、日曜日の夜は、今月2度目の伊那中央病院小児一次救急の当番。PM 9:20 までに4人診察する。

■長野県小児科医会会報に書いた原稿、「小児科待合室で こども寄席」をアップしました。よろしかったら読んでみて下さい。

さて、今度の水曜日の午後は、塩尻市保育士会で講演。来週の水曜日の夕方には、駒ヶ根市保育園協会での講演がある。内容はぜんぜん違う。駒ヶ根市の方の準備がちっとも進んでいない。困ったぞ。

 六代目・三遊亭圓生(その2)         2008/06/12 

■6月10日(火)午後6時半から伊那市役所501会議室にて「伊那市要保護児童対策地域協議会代表者会」。やたら長い名前の会議だが、伊那市の虐待児童の実態を検討する重要な会だ。帰宅後、日本映画専門チャンネルで、岡本喜八監督の『独立愚連隊西へ』(1960年東宝作品)を見る。噂に違わぬ傑作。何とも痛快で面白かった。これは岡本喜八流の「西部劇」なんだね。日曜の夜は『アメリカン・ビューティー』を見たが、これは予想外に面白かったな。録画しておいた『デッドマン・ウォーキング』と『ゆれる』は、今週末に見よう。

6月11日(水)午後1時半、伊那東小学校2年生4クラスの内科健診。夕食は、「中村屋カリー」フレークタイプ+玉葱3個+セロリ1本+人参1本+鶏手羽元10数本でカレーを作る。ごはんもあったが、「ハウス・ナンミックス」で粉をこね、フライパンで本格的なナンを焼く。これは簡単でいいや。しかも美味しい。長男が「おとうさん、カレー旨かったよ」と言ってくれた。 夜7時〜9時は、伊那中央病院小児一次救急の当番。フェンスの鉄柱に頭をぶつけた保育園の男児と、階段最上段から転落した1歳男児の2人だけ診た。

6月12日(木)午後1時半からから南箕輪村3〜4カ月健診を17人。今日のBCG接種は原征洋先生が担当してくださる。ありがたい。帰りに寄った南箕輪村図書館は、7月初めまで工事のため休館中。


■六代目三遊亭圓生のはなし(つづき)■

< 間(ま)>

『親子の聾』という有名な小咄がある。

「おい倅や、おウい、……しょうがねえな、あいつは耳が遠いんで。おい倅ッ」
「えッ? なんだい」
「いま表を通ったのは横町の源兵衛さんじゃねえかい」
「(目で追って)いや、ありゃァ横町の源兵衛さんだよ」
「ああそうか、おれはまた横町の源兵衛さんかと思った」

どの一字を抜いても成立しないギリギリの言葉だけで作られたこの小咄を、弟子が演じたすぐあとで師匠がやったらどれだけちがうか、という意地悪な実験を、かつてNHKテレビが見せてくれた、気の毒な犠牲者にえらばれたのは、円生門下の三遊亭好生(のちの春風亭一柳)。「フフフ、あんな損な役まわりってありませんよ」と、あとでつくづくボヤいていたが、その好生を演じたあとを引取って、もう一度一字一句ちがえずに円生がやると、これが同じ小咄か、と目をみはる思いがした。たったあれだけの会話、それも同じ文句のくりかえしで出来上がっているのだから、だれがやってもそれほど開きのあろうはずがないのに、それが大ありなのである。
 どこでその差が生じるのか。間(ま)である。噺を活かすも殺すも、結局は間のとり方一つなのだ。けだし、落語の”話術”は”間術”であり、間術はすなわち”魔術”でもあって、
「(噺を)はッと度忘れして、あとが出てこないことがあります。そういう時は、……『これァ噺の間なんだ』ってな顔をして、ゆっくりゆっくりしゃべり出す、そうすると絶句したことは(お客に)絶対に気がつかれない」(三遊亭円生『寄席育ち』)
 という効能までそなえているのである。
(「料簡・吟味・間」p25 〜26 『落語無学』江國滋著、ちくま文庫)


 最初に教わったのが聾の小咄を集めた「八九升」。
 師曰く、「この噺は、大変難しい噺で、おまえたちにはちょっと無理な噺だが、発声の変化、仕種の多様、基礎がたくさん入っているので、あえて初めに教えているのだ。稽古三回といって三度聞いて覚えるのだが、はなのうちは何度でもやってやる」
 そのころ、師宅には東通工(現・ソニー)のテープレコーダーがあった。大きくて大変重かった。相当高価なものだったろう。(『天下御免の極落語』川柳川柳・著 p69〜70)

 夏のある夜、師が突然、野球を好きになった。野球というより、「巨人」大好き男に変化した。今まで、
「野球なんて毛唐の真似、あたしゃ嫌いでげす」
 などと言って、もっぱら、相撲一本だったのが急に変心、それには立派な訳がある。
 ご贔屓の客が、巨人に顔が利く人で、ある日、師をナイターに誘った。気乗りしないまま同行すると、後楽園スタジアムの貴賓室に案内されて、コーヒーとともに、あの長嶋と王(当時、プレイヤー)が現れて、一緒に写真を撮った(その写真を引き伸ばして額入りで師宅の居間に飾ってある)。その夜から熱狂的な巨人ファンになったのだ。(同 p139〜140)


 ところが、八人の弟子の中で私と好生が外された。これはショックというか屈辱である。
 屈辱といえば、一年前もっと大きな屈辱を受けた。
 弟弟子の吉生が、私、好生、舌生(円弥)、六生(生之助)の四人を抜いて、円窓と改名し真打に昇進した。いや、させたのだ。
 私も口惜しかったが、一番ショックだったのが好生である。
 もともと、舌生、吉生は春風亭柳枝の弟子だった。入門して間もなく、師が亡くなったので、圓生が引き取った。その点、私、好生、六生は最初からの弟子、いや、それの善し悪しをいうのではない。好生は素人のころからの圓生一辺倒、われわれが師を「王」と思うなら、彼には「神」だ。私は師と違う芸風になってしまったが、彼は師の噺を懸命になぞっている。芸ばかりかその立振舞い、すべての師の真似、心底、心酔している。それが師にとっては煩わしかったらしい。自分が下手と言われていた若いころを思い出して不快だったのかも知れない。
 好生は気に入られようと師匠そっくりにやればやるほど、嫌がられているのに気がつかない。これは悲劇である。(同 p141〜142)


 一柳(好生)は、あの協会分裂、破門を軸に自叙伝を出版したが、その後、精神を病み、ついに昭和五十五年七月、師の後を追うように、に図から四十余年の生を絶った。あるいは殉死なのかも知れない。
 一緒に修行し、ともに破門された男の死は、哀しかった。飲んで狂ってまた、したたかに血を吐いた。(同 p165〜166) 

 六代目・三遊亭圓生(その1)         2008/06/09 

■見れなくなってしまったテレビ東京の番組で、一番よく見ていたのは、小谷真生子さんがキャスターを務める、夜11時からのニュース「WBS」だ。そしたら、耳鼻科の深澤先生が「BSjでもやってるよ」と教えてくれた。本当だ! これからも「トレたま」が見られるんだね。うれしい。ケーブルTVよりも格段と映りはいいしね。


■六代目三遊亭圓生に関して書かれた書籍の中から「これは!」と思った部分を、これから何回かに渡って、いくつか引用させていただきます。

 死んだ父親が、先代(五代目円生)が好きで、「番!!番!!」なんて、「二番煎じ」の真似をよくやっていたくらいで、先代の出ている寄席には、子どものころ、ずいぶん連れていってもらった。しかし、いっしょに出演したことも多かったはずの、円蔵時代の六代目円生の印象はきわめて薄い。
 それどころか、たんに退屈な落語家だったという思い出が残っているにすぎない。
 なにしろ、あの通りの長身で愛敬にもとぼしいし、美男子で、姿がよくて、鼻にかかった甘い声で、子どもには近寄りにくい地味な高座だったために、綿密な演出を見せれば見せるほど、そんな芸などわかるはずもない子どものわたしにとってはアクビの種だった。

 そのころ、うちの父親も、「円蔵ってえのは、じつにたくさんの噺を知っているんだが、惜しいなあ」と言っていた。
 なにが惜しいのか、その意味がわからなかったが、噺の数は多いのに<十八番>というべきものがないということだったのだろう。(中略)

 わたしのような子どもや、一般の聴衆にとっては、金語楼とか、七代目正蔵(三平の父親)とかいうナンセンスな笑いのほうが、とっつきやすかったわけで、売れない円蔵は、落語家ではあまりに生活が苦しいので、一日に三時間廻って二円五十銭になるというチンドン屋になろうと思った時期もあったという。

 この売れない円蔵時代に感銘的な逸話がある。
 ある日、駒込の動坂亭の高座を終えて出て来ると、あまり見なりのよくない中年の男が、
「まことにお恥ずかしくて、申しあげにくいんだが、ちょっと、おそばを食べたいと思うんですが、ひとつ、つきあってくれませんか」
 と言う。べつにたかりでもないので、素直に、そば屋へついてゆくと、
「なにを召しあがります?」
 と聞く。
「あたくしゃあおそばが好きなほうで……あのう、もりをいただきたいんです」
 と答えると、
「そうですか。それじゃあおことばに甘えて、もりを……」
 と自分ももりをとって食べながら、
「いや、あたしは落語が好きで、ずいぶん聞いてますが、失礼ながら、あなたは、将来かならず大看板になるかただと思っております。まあ、あたしなんぞは、貧乏をしておりまして、なんといっても応援らしいことはできません。けれども、これから先、あなたの芸がどんどん伸びてゆくということを、あたくしゃあ楽しみにしている。どうか一生けんめいやって、りっぱな噺家になってください」
 と、心の底から激励してくれた。
 この名も知らぬファンと別れて、それっきり会ったことはないのだが、時折り、このことを思い出さずにはいられなかったという。

『忘れえぬ落語家たち』興津要(河出文庫)p134〜136より引用



 今週もそれなりに忙しかったな         2008/06/06 

■さんざん悩んで購入を先送りしていた「薄型42インチ大画面テレビ」だったが、5月半ばにヤマダ電機で、プラズマテレビ「日立 Wooo/P42-HR02」を買った。録画用HDD内蔵で、今ならカセット式HDD(120G)がオマケで付いてくる。現金値引きもかなりなもので、ポイントも1割付いた。そして何よりも、前機種「HR01」の黒色の描写が貧弱で不満だった点が、この春に出た「HR02」ではパネルが一新され、黒のコントラストが見事に改善されていたことに感心したからだ。

ところが、リビングに設置してもらったテレビが、信号が弱すぎて「地デジ」の画面だとモザイクだらけになってしまい、ちゃんと映らないのだ。これはショックだった。せっかくテレビを買ったのに、いったい何だったんだ?息子も女房も白けているぞ。うちの場合、伊那ケーブルテレビで有線放送を見ているのだが、引き込み線が長すぎることと、医院待合室(今は使っていない)、スタッフ休憩室、自宅リビング、自宅寝室と4カ所に分配されているために、電波が弱くなってしまっているらしいのだ。う〜む困ったぞ。

悩んだ末、ケーブルテレビを解約して、BSアンテナと地デジ用UHFアンテナを電機屋さんに付けてもらった。ブースターも入れて、電波を増幅してもらったので、地デジもちゃんと映るようになった。くっきりハッキリ、実に美しい画面だ。感動したな。そして何よりも驚いたことは、BSとCSスカパー(e2 by スカパー)で80チャンネル近く見れるのだ(いまは16日間無料おためし期間なので)。「テレビ東京」が見られなくなったことが残念だけど、プロ野球も中日の全試合を必ずどこかのチャンネルで放送しているので、息子たちも大喜びだ。映画もいっぱいやっている。以前、外来小児科MLで話題になっていた『ロレンツォのオイル』を初めて見たが、これは驚いた。実話なんだね。昨日は『エイリアン』を見た。もう毎日寝不足です。困ったねぇ。

■6月4日(水) 午後1時半から伊那東小学校1年生4クラスの内科健診。
         夕食は、太刀魚のムニエル、ハッシュド・ポテト、ペンネ・アラビアータ。

 6月5日(木) 午後2時から竜東保育園で年長さん2クラスの内科健診。
         健診のあと、時間があったので絵本を読ませていただく。

         『だるまさんが』かがくいひろし(ブロンズ新社)
         『ふってきました』もとしたいずみ・文、石井聖岳・絵(講談社)
         『しちどぎつね』たじまゆきひこ(くもん出版)

         梅雨のこの季節にはやはり『ふってきました』は、絶対に外せない定番。
         子供たちの反応もすっごくよかった。『しちどぎつね』
         大受けだった。『じごくのそうべえ』以来の傑作だと思うぞ。
         よるは、プリエで伊那市医師会定例総会。

 6月6日(金) 午後は保健センターで3歳児健診。24人診た。


 『氷石(こおりいし)』久保田香里・著、飯野和好・画(くもん出版)   2008/05/31 

■これは実に「リアル」な小説だ。ファンタジー全盛の今の日本の児童文学界において、竜も魔女も妖術も奇跡も、何にも登場しない「こんな地味な小説」が、ちゃんと本となって出版されたということは、日本の未来も決して暗くはないな、と思った。

いい小説は、書き出しの「一行」を読めば判る。例えば、ディック・フランシスの『競馬シリーズ』。例えば、宮城谷昌光の『介子推』を見よ。著者はこの一行に全てを賭けるのだ。『氷石』の最初の3行はこうだ。


 昼すぎから、風はぱたりとやんでいた。
 土ぼこりの舞いあがる道に、日ざしが強く照りつけている。焼けた地面からたちのぼる熱気が、腕にねっとりとはりつく。


巧い文章だ。畳みかけるように、とんとんと、テンポがいい。これはハードボイルドの文体だな。ぼくは「おっ!やるじゃん」と思った。舞台は遙かむかしの奈良時代。天平九年(737年)夏。今から1271年も前のはなし。そんな大昔の時代設定の中で、作者は主人公「千広」を実に「リアル」に動かして見せる。そのリアルとは、「いまここ」のリアルだから本物なのだよ。

いまだ、鑑真和上も来日がかなわず、東大寺の大仏も建立(こんりゅう)されていない。この年、遣唐使が中国から持ち帰った痘瘡(天然痘)が奈良の平城京で大流行する。この疫病(えやみ)によって、富める者も貧しき者も、高貴な人も卑しき人も、老いも若きも分け隔てなく、ばたばたと人は倒れ次々に死んでゆく。この奈良時代の大昔に生きた主人公が感じる「不条理」と「生きにくさ」と「諦め」は、そのまま、2008年の日本で小学生・中学生をやっている子供たちの「不条理」と「生きにくさ」と「諦め」に直結している。そのことが重要だと思う。

こうした時代(歴史)小説が、実は「現代」を的確に照射していると思ったのは、『ミノタウロス』佐藤亜紀(講談社)を読んだ時に初めて感じたこと。ロシア革命という時代の変革期に、親族も、友人も誰も信じない主人公が、ただただアナーキーに大地を疾走し、大空を駆け巡りラストまで一気に突っ走る「この小説」は本当に傑作だったが、重要なことは、1900年の話なのに「平成のいま」が語られていることだ。

それは、紀元737年の話なのに、まさに「いま」を感じさせる『氷石』でも同じことだ。こういう小説には、なかなか出会えないな。あとは、『神無き月十番目の夜』飯嶋和一(小学館文庫)ぐらいか。そう言えば、『ミノタウロス』も『神無き月十番目の夜』も『氷石』も、人間がまるで虫けらのように次々と大量に死ぬことが不思議と共通している。

ずいぶんと褒めすぎたきらいはあるが、決して読んで損はない小説だと思う。願わくば、主人公「千広」が都大路を駆け抜ける「風」を、もっとアップテンポのリズムで感じてみたかった。いま最も注目される女性作家である佐藤多佳子も角田光代も、それに『バッテリー』のあさのあつこや『守り人シリーズ』の上橋菜穂子もみな児童文学から出発した。だから『氷石』の作者、久保田香里さんには、更なる骨太な剛直球の小説を書いて欲しいと願うのだった。

 『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔(徳間文庫) その2     2008/05/28 

■昨日の夜、TSUTAYAで『NHK趣味悠々/ひと味違う!ダッチオーブン入門』を見つけて買ってきた。6月5日(木)〜7月31日(木)まで、毎週木曜日午後10時からNHK教育テレビで放送される。これは要チェックだ。ぱらぱら捲っていたら、48頁に載っていた「カレー炊き込みご飯」の写真がすっごく美味しそうだったので、久しぶりに倉庫からダッチオーヴンを出してきて、今日の夕方さっそく作ってみた。

しかし、米に対して水の量が少し多かったのか、炊きあがりが「べちょべちょ」になってしまった。鍋底は「おこげ」を通り越して「炭」だったし…… これははっきり言って失敗作。それでも次男と妻は、無理して皿に盛ったご飯を全部食べてくれた。しかし、長男の皿はいつまでたっても一向に減らない。時々想い出したように、マズそうに嫌々スプーンを口へ運ぶ。悲しくなっちゃったな。「もういいよ。止めろよ。見てるの、つらいからさ」思わずそう言ってしまった。長男はすっごく悪いことしたとでも思ったのか、その後15分かけて食べきった。ブナシメジだけは残したが。気を使わせてごめんよ。

それにしても、モチベーション下がりっぱなしだな。来週の水曜日からは、しばらく夕食を作るのを長期休業しようか。


■さて、昨日の続きだ。

 こういうことをやっていた男が、タモリと出会ったのである。
 その晩、ホテルの一室で中村はユカタ姿で踊り、私と森山はデタラメ三味線と長唄をやっていた。(そういえば、冷中元年という年は森山威男が我々のトリオで演奏した最後の年にもなるのだ)出し物が最高潮に達しつつあった時、一人の見知らぬ男が踊りながら入って来たのだ。一同驚きながらも続けるうちに、この男は中村のかぶっているカブリモノ(それは藤椅子の底が抜けたものだった)をとり上げてしまった。それを自分がかぶり、あるいはツヅミのように小脇に抱えてたくみに舞った。それは、我々の知る中村の踊りよりもさらに一段と磨きのかかったものに見えた。この時になって我にかえった中村は、大声で男の無礼を咎めた。デタラメの朝鮮語だ。

「タレチョネン イリキテカ スミダ」

 すると我々が予想もしなかったことが起こった。男がやはり同じ言葉で、しかも、どう聴いても三倍は流暢に返事をしたのだ。

「ヨギメン ハッソゲネン パンチョゲネン パンビタン ピロビタン ウリチゲネンナ ゴスミダ」

 後に二人は互いに「ヨギメン友達」と呼び合うようになったが、その最初の記念すべき会話がこうして成されたのである。これから朝まで、二人はあらゆる分野(物真似、顔真似、デタラメ言葉、馬鹿踊り etc )で渡り合い、互いにゆずらなかった。私と森山はあまりのおかしさに、ベッドの上でのたうち回り、何度も床に落ちた。この時の邂逅でもし私が何らかの役割をはたしたとすれば、それは今までこの男が出会ったどんなよりも私が受けたという点だけなのである。

 朝も白々と明けた頃、この黒ブチ眼鏡に白ワイシャツ、黒ズボンにズック靴の男は、急に真面目な顔になり、ではと言って帰ろうとした。ドアへ歩いて行くその後姿に向かって、最早ユカタもはだけ、パンツもずり落ちている中村が呼びかけた。
「失礼ですが、あなたのお名前は何とおっしゃるのですか」男は立ち止まり、ドアに手をかけたまま、こちらを向いた。
「モリタです」中村は走り寄り、二人は抱き合い、再開をちかった。この時すでに「おれ達はヨギメン友達だ」という言葉を聴いたように思う。我々は----もうすでに昔のジャズ仲間によって彼はそう呼ばれていたが----バンド用語の習慣に従って彼をタモリと呼んだ。

 その後、九州に行くたびに、どこからともなくタモリは現れた。我々が主催者と打ち上げをやっている。するとタモリが現れる。一刻も早く我々はホテルの部屋に行きたくなる。しかし、酒席で我々の熱い視線を受けながら、タモリは平然と時間の過ぎるのを待っていた。そういうところで何かを始めるという風には当時、彼も我々も考えなかった。そこは公共の場所であり、タモリのやることのほとんどは、そういう所ではサシサワリがあるものだったのだ。我々は主催者に早退のオワビをつぶやきつつ立ち上がる。するとタモリも立ち上がる。外に出ると、彼を抱きかかえるようにして、ホテルの部屋へ連れ込むのだ。それから朝まで悶絶する。
(『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔 【徳間文庫】p215〜216)

 『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔(徳間文庫)         2008/05/27 

深キョンがCMしている「キリン氷結 STRONG」が旨い。アルコール分8%は、タカラ缶チューハイ・レモンと同じ濃さ。このアルコール分が酔っぱらうためには絶対的に必要なんだね。CMもいいしね、これは売れるぞ。

先日「高遠・本の家」で購入した本について、今日は『圓生好色ばなし』三遊亭圓生(朝日文庫)に関して書くつもりだったのだが、スミマセン、それは次回にいたします。で、今回は、『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂ(学研)初版と、『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔(徳間文庫)の話を少し。

『行きそで行かないとこへ行こう』の話は、2003/03/02 〜03/08 の日記で詳細に記述されていますので、そちらをご参照ください。学研から出た「オリジナル単行本」には写真も載っているらしい、と当時は書いたのですが、確かに! 渋谷百軒店「ムルギー」のカラー写真が載っていたぞ! 5年越で探し求めていた本を偶然に、しかも100円で入手できた喜びは、これまた格別ですなぁ(^^;;


■さて、『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔(徳間文庫)の話だ。山下洋輔さんが、九州博多で初めて「タモリ」を発見した夜のことが詳しく「この本」に書かれているのです。以前に書いた内容では、山下洋輔トリオの面々が、タモリと初めて出会った博多の夜のはなし(2007/11/14)をご参照ください。

 こうした無気味な胎動の予感をはらみつつ、冷中元年(1975年)の夏がやって来たのだ。そして、冷中元年が、全冷中の発足の年であるという理由以外にも我々の記憶に永遠にとどめられる年となったもうひとつの出来事が、その夏に起きたのだ。かの奇怪至極糞馬鹿穴開白紙頁芸人、タモリの上京である。これ以後、全冷中とタモリとは、共にそのデタラメさを競い合いつつ、狂騒の輪を回りに広げて行ったのだ。

 それより以前、冷中負(マイナス)四年頃に、私はタモリを知った。その九州のホテルでの邂逅を私は方々で喋り、書いた。そしてそれは、文字通り単に私とタモリの出会いと理解されているかもしれない。しかし、実際に起きたことは、それとは少し意味が違うのだ。そのことを少し書きたい。

 あれは実は、中村誠一とタモリとの出会いだったのである。それは彼らの間に起きた突然の熾烈な戦いであり、一晩中続いた、命をかけたデタラメ芸の決闘であったのだ。
 中村誠一は冷中負(マイナス)三年までの私の共演者である。テナーサックス、ソプラノサックスの奏者だ。このレポートの性格上、その稀に見る音楽的才能についてくわしく述べることが出来ないのは残念だが、彼のもう一つの才能は、早く言えばデタラメをやることであった。たとえば、彼の重要な発明のひとつに「フリー落語」というものがある。これを演じることのできる者は彼以外になく、最近はほとんどやらないようだから、それを実際に目撃したのは、世界広しといえど、今のところ私と当時もう一人の共演者ドラムの森山威男の二人だけであろう。ならば、今ここでそれをできるだけ忠実に再現する義務が私にはあるかもしれない。それは大むね次のようなものだ。猛スピードで演じられた。

「大家さんこんにちは、誰でえお前は。てんでこの二階へトントントントン。上って見るともういっぱいの人出。大八車は走るわ半鐘は鳴るわ。おうおうおう何をもたもたしてやんでえ、だから手前は御馳になりますというので、ウナギなんてものはこうやってトンとひと突き、船は岸を離れます。誰だいそこで柱に寄りかかって涙ぐんでいるなあ。さて道具箱は金明竹のずん胴、古池やカッパころげてトンビかな、てなことをアチチチチチチッ早く言わねえかこのあんにゃもんにゃ。カンカンノウをウグウグ(酒を飲む)とらせるぞよってんでこれが三日帰らない。うどんやさんうどんやさんコショウの粉がアグアグアグ(ガンモドキを食う)まっさかさまで御座居ますったあいってえどういう料簡でえドガチャカドガチャカ焼けて来ましたミョーホーレンゲーキョープップッ(カワラケを投げる)おいおい何をしてえるんだ、そんな所にフトンを敷いちまっちゃあチンチロリンのポーリポリ。パンパン(手を叩く)伊八っ---パンパン最前上りし折何と申しましてもおまけはできませんのでオバアサンオバアサンそんなことをしたら魚が逃げてよおっこんちこちらおんあぼきゃあのあすばらげっちょ……」
(『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔 【徳間文庫】p213〜215)  
もう少し、(つづく)

 とうとう「週刊日記」になってしまったな         2008/05/25 

■無線LANがつながらないので、内蔵Ethernet から有線LAN でつないでアップしています。でもこれって面倒くさいね。


■5月17日(土)■ 
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この日の午後、飯島町図書館で講演会を行った、絵本作家の飯野和好さんは、講演会後のサイン会に並んだ100人以上の聴衆に、いつものように丁寧にサインをしていたので、ぼくら伊那のパパズ(倉科・伊東・北原)が7時過ぎから待つ伊那市入舟「萬里」にコーディネーターの坂本さんと共に到着したのは、すでに夜の8時近かった。飯野さんが「ローメン」のファンなので、講演会で伊那谷を訪れると必ず「萬里」に寄ることになっている。その機会を逃すことなく、ぼくら「伊那のパパズ」の面々がいつも待ちかまえていて「萬里」で迎撃するのだった。それにしても、飯野和好さんは本当に「いい人」だな。常に自然体で飾らず、奢るところが全くない。じつは、5月3日発売の『月刊クーヨン(6月号)』「特集:パパとたのしむ絵本」で、われわれ「パパズ伊那」の記事が載ったのも、飯野さんがクーヨン編集部に「ぼくらのこと」をご紹介下さったからなのだ。本当にありがとうございました。

■5月18日(日)■

 朝から松本市役所裏の松本館ホールで長野県小児科医会総会と研修セミナーが夕方まで。とっても勉強になった。終了後に「ほんやら堂」へ寄って中古CDを数枚購入。ジャズのCDと落語のCD。89歳の超ロートル・ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズのNY最新ライブと、NHK落語名人選(14)桂三木助「へっつい幽霊」「崇徳院」、NHK落語名人選(100)桂小南「七度狐」「夢八」を950円でゲット。

■5月20日(火)■

 伊那市医師会拡大幹事会。料亭「だるま」にて。無事終了した。

■5月21日(水)■

 天使幼稚園で、午後1時から内科健診。みんな本当にいい子だね。健診終了後に、年長さんの「アネモネ組」で絵本を読ませていただく。アネモネ組の担任・清水先生、高橋園長先生、いつもスミマセンねぇ(^^;; 読んだのは、以下の5冊。

1)『だるまさんが』かがくいひろし(ブロンズ新社)
2)『かたあしのひよこ』水谷章三、いとうひろし(ほるぷ出版)
3)『おきにいり』田中清代(ひさかたチャイルド)
4)『いろいろおせわになりました』やぎゅうげんいちろう(福音館書店)
5)『しちどぎつね』 たじまゆきひこ(くもん出版)

年長さんになったばかりの子供たちに「どんな絵本、読んで欲しい?」って訊いたら「怖い絵本!!」って言うので、幼稚園児にはちょっと難しいかな?と思ったのだけれど、勇気を出して『しちどぎつね』 を読んでみた。そしたら、思いのほかちゃんと聞いてくれたので驚いたな。笑うべきところでは、ちゃんと笑ったし。けっこう長い話なのにね。この絵本、大阪弁が難しいのだけれど、しばらく集中的に園医をしている保育園で読んでみようかと思ってます(^^)

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■5月22日(木)■

上伊那医師会講演会「マリエール伊那」にて。高脂血症とメタボリック症候群、その結果としての動脈硬化に関して、東邦大学医療センター佐倉病院内科准教授宮下洋先生の講演を拝聴した。高脂血症の病理は、何度勉強してもよく分からない分野なのだが、宮下先生はじつに分かりやすく解説してくれた。なるほど!そうだったのか。これほど「すとん」と納得できる講演はないな。演者の力量なんだね。ぼくも演者によくなるが、聴衆が如何に満足できる講演会になるかは、やはり、演者にもそれなりの芸と工夫が必要なワケだ。勉強になるなぁ。

■5月23日(金)■

長谷で3歳児健診。ちなみに、1週間前の16日(金)は、伊那の健診センターで3歳児健診。

■5月24日(土)■

午後は、茄子と挽肉のカレーを作って、夕方高遠の母のところへ。「おいしい、おいしい」と食べてくれる。うれしかったな。

■5月25日(日)■

妻子は朝から「境区運動会」出場のため、降りしきる雨の中、伊那東小学校体育館へ。ぼくは悪いけど欠席して、伊那東小学校1年生の心電図健診結果の再チェック。午後2時前には終了した。やれやれ。1時間ほど午睡して、夕方7時から午後9時半過ぎまで、伊那中央病院救急部で小児一次救急に出向く。5人診た。いっぱいしゃべったので、それなりに疲れた。やれやれ。

 『北東の大地、逃亡の西』(早川ポケミス)『八日目の蝉』角田光代(中央公論新社)読了 2008/05/20 

■角田光代さんは今回初めて読んだが、『八日目の蝉』は先がまったく読めなくて、ハラハラドキドキほんとうに面白かったな。不倫相手の男の娘(生後6カ月)を誘拐して逃亡を続ける主人公。逃げて逃げて逃げて……。でも、彼女には決して安住の地は見つからない。最初は、彼女の犯罪の動機に関してちょっと理解不能なところもあったのだが、読み進むうちに何とか捕まらずに逃げ果せて欲しいと、ただただ願っている自分がそこにいた。優柔不断で嘘つきの「どうしようもない」ダメ男である、彼女の不倫相手の男と、理性のかけらも感じさせない、ただヒステリックなだけのその妻。犯罪被害者ではあるけれども、吐き気を催すような人間たち。

 あんたなんか、空っぽのがらんどうじゃにの。電話の向こうで、あの女が言った言葉だ。あなた、自分の子どもを殺したんでしょう。信じられない。あんたが空っぽのがらんどうになったのはその罰じゃないの。殺された子どもが怒ってんだよ。ざまあみろ。矢継ぎ早に声は告げた。
 あの女が電話をかけてきたのはそれがはじめてではなかった。夫を返してと懇願したときもあったし、気味が悪いほどやさしく話かけてきたこともあった。もちろん罵倒するときもあった(60〜61ページ)

■子供の「愛着形成」に必要なものは、決して「血縁」ではない。実の母親ではなくとも、その子の存在を無条件で受け入れ愛し守ろうとする保護者であれば、赤ちゃんは絶対的な信頼をその保護者に寄せ、人間が生きていくために必要な「基本的信頼感」を獲得できるのだ。この「愛着形成」は子供が満3歳になるまでにほぼ完成される。逆に、血縁のある実の母親であっても、3歳までのこの大切な時期を子供といっしょに過ごすことができなければ、母子の「愛着形成」は成されないのだ。そういう事実を考えると、薫の実の母親である「あの女」の理不尽な態度を決して責めることはできないと思うのだった。

■このところずっと「反応性愛着障害」という言葉が気になっているぼくは、今の日本で母と子の健全な「愛着形成」が本当に成されているのかどうか、心配でしょうがないのです。「茶化すみたいに、認めるみたいに、なぐさめるみたいに、許すみたいに。」この文章は「0章」の最後(6ページ)に登場し、「2章」の最後でもう一度出てきます(346ページ)。「愛着形成」が完成された親子の関係とは、まさに「そのような」感じなのだろうなあ。


■ところで、『北東の大地、逃亡の西』スコット・ウォルヴン著(早川ポケミス)の中に『虎』という、わずか25ページの短篇が収録されているのだが、ぼくはこの短篇がどうしようもなく好きだ。基本的な設定は『八日目の蝉』と真逆。子供のいる彼女と新たな家族の関係を築こうとする孤独で不器用な男の物語だ。前夫との間にできたその少年は高機能自閉症だった。そのことを彼女は主人公の男には隠していた。しかし、その男自身がどうにも高機能自閉症的で、人間関係がいつもぎくしゃくしている。だから逆に、同類として少年と男との関係は良好であり、親子3人で家族としての新しい暮らしが可能であろうと男は信じて疑わなかった。ところが……

『八日目の蝉』は、太田光も絶賛するベストセラーだけれど、『北東の大地、逃亡の西』を読む人はあまりいないんだろうなぁ。特に女性は。『八日目の蝉』は決して男には分からない小説だと思う女性が多いかもしれないが、それなら、ぼくは言いたい。『虎』の孤独な主人公を理解できる女性が、いったいどれくらい存在するのだろうかと。

 ネットにつながらない         2008/05/15 

■日曜日の夜に「I・O DATA」の無線LANルーターに取り替えたら、このPowerBook G4 は完全にネットとつながらなくなってしまった。いやはやなんたることか。

■ネットにつながらないと、サイトを更新しようとするモチベーションも下がってしまうのだが、それじゃぁいけないので、とにかく記録だけは留めておこうと思う。


●4月30日(水)は夕食当番で、北アフリカの民族料理の「クスクス」を作った。クスクスにかける「ソース」は上手くできたのだが、肝心のクスクスが何処にも売ってなくて、結局はごはんにかけてカレーのようにして食った。数年前にはベルシャイン西澤で「クスクス」を売っていたはずなのになぁ。GW明けの水曜日は給食当番お休みで、5月14日(水)は妻が夜に PTAの会合で留守だったので「タコス」を作ってみた。これは息子たちにも好評だったし、作る手間もかからず実に簡単だったのだが、夕食のメイン・ディッシュには決してならないメニューだね。「おやつ」だな、これは。

 いや、じつは前回クスクスを探し廻って、ベルシャイン、アピタ、西友と行脚する中で、「西友」の香辛料棚に「タコス・キット」が売っているのを発見したのだった。で、次回は「タコス」と決めていたのだね。この「タコス・キット」さえあれば、あと必要なのは、牛挽肉・レタス・トマト・ピザ用チーズだけ。北原アンドレア先生も、子供たちのリクエストでよく作ると言っていたな。

●5月3日(土)成田から次兄が姪を連れて来ていたので、みなで高遠へ行った。姪の夏美ちゃんは高校1年生だが、ブック・オフと読売巨人軍が大好きな女の子。愛読書は池波正太郎だという。今どきの女の子にしてはシブすぎるぞ。高遠の母の家に着くと、兄は居たが夏美ちゃんとお義姉さんがいない。実はこの5月1日にオープンしたばかりの高遠駅前「高遠・本の家」に入り浸っていたのだな。倉田材木店の事務所だったこの場所には、10年前までは高遠の老舗の本屋さん「矢島書店」があった。ぼくが生まれるずっと前からあった横町の角の店をたたんで、駅前に進出して営業していたのだが、多角経営を目論んで失敗し潰れてしまった。その場所に、再び本やさんが戻ってきたのだね。うれしいではないか。

さっそく長男を連れて訪れると、お義姉さんは既にいなかったが、夏美ちゃんは古書を数冊小脇に抱えて、さらに本棚を黙々と吟味していた。ぼくは店外の「100円棚」で長年ずっと探し続けていた『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂ(学研)初版第4刷と、『ピアノ弾き翔んだ』山下洋輔(徳間文庫)をゲット。長男は、同じ「100円棚」で北方謙三『三国志(一)』ハードカバーを美本でゲットした。店舗は「うなぎの寝床」のごとく奥が深い。店内は落ち着いた雰囲気でジャズやボサノバが流れている。店主のセンスの良さを感じさせるなぁ。

昨年から経営していた高遠町長藤栗田の「高遠・本の家」は、共同経営者の6人が考え方の違いから「4+2」に別れて、4人が「その新しい店舗」で新たな「高遠・本の家」を立ち上げ、残る2人は高遠町長藤栗田の店舗を「長藤文庫」と名称を変えて引き続き営業を続けていくことになったようだ。結果としては、過疎の町「高遠」に個性的な「古本カフェ」が2店に増えたわけで、ぼくら古本屋ファンにとってはこの上ない喜びである。

全国の古本好きも、遠路はるばる高遠へ行脚すれば2軒の古本屋を回ることができるワケで、日本の「ヘイオンワイ」にまた一歩近づいたことになるのかな。

●糖質ゼロの発砲酒の中では、サッポロの「ビバ!ライフ」がアルコール度5%と高く、しっかり飲んだ気分になれるし、味わいも一番旨いと思うぞ。

●六代目三遊亭圓生の、売れない頃の「いい話」に関しては、いずれまた書きます。

●全国「極めつけ辛いもの」ベスト5

 ・長崎県西海市西彼町平山郷・平山農産物加工所の「柚胡椒」
 ・新潟県新井市「かんずり」
 ・沖縄県石垣市・辺銀食堂の「石垣島ラー油」
 ・京都市・祇園味幸の「日本一辛い黄金一味」
 ・沖縄県石垣産「島とうがらし」


●「NHKスペシャル」で明らかにされた、母子家庭にとことん冷たい日本の社会保障。貧困の世代間連鎖は必然なのか? 今週発売の「週刊東洋経済 5/17号」は、特集:子ども格差。先ほどのNHKスペシャルと同じ話が載っている。小泉元首相+竹中元大臣+オリックス会長。この3人が線路を引いた「構造改革」路線の結果がこのザマなわけだ。バブル崩壊後の経済界が立ち直るために正規社員を減らして派遣社員を増やした。それを「よし」とする法律も通した。その結果、会社は正規社員のために負担していた社会保険料を払わなくて済むようになり、さらには昇級もボーナスも軽減され息を吹き返した。

経済界にはそれでよかったのかもしれないが、その結果として「格差社会」の増長を招いたことになる。小泉政権が目指したものは、10年前のアメリカだ。それが今、まさに「負の意味だけで」実現しようとしている。その恩恵(被害)を最も被っているのが、母子家庭の子供たちなワケだ。日本の社会は、世界で一番子供たちに冷たい社会である。そのことだけは間違いない。

 小児健康市民フォーラムへ多数ご来場ありがとうございました              2008/05/11 

■5月10日(土)は、朝から冷たい雨が降り続いた一日だったが、「いなっせ」で開かれた「小児健康市民フォーラム」へは220人を越える熱心な聴衆がつめかけて下さった。それに応えてお二人の講師の先生方もすばらしい講演をしてくださったと思います。本当にどうもありがとうございました。

著名な児童精神科医である田中康雄先生は、朝5時半に札幌の自宅を出て飛行機で羽田空港に向かい、それから新宿へ出て「あずさ」に乗り岡谷で下車。さらに飯田線鈍行に乗り換えて午後2時15分に「いなし」駅に到着した。というわけで、約9時間を要して伊那までやって来て下さったのだ。特別講演1の小林基章先生も丁寧で分かりやすい実に上手な講演だと感心したが、田中康雄先生の講演の魅力は、軽度発達障害の子供たちとその親御さんを「この僕が」守り支えてゆくのだという「パッション」が言葉の端はしにあふれていて、聴いていて何とも頼もしく安心したことと、われわれがなかなかイメージし難い、様々な軽度発達障害児が実際に体感している世界観を、具体的に手に取るように分かりやすく聴衆に示してくれたことだと思う。

本当は、保育士や教師、親御さん方が最も知りたかったケース・スタディ的な「その子」に合った具体的な支援方法に関して、あと1時間くらい時間を取って更に突っ込んだお話が聴きたかったのだが、毎週土日は全国各地で講演会がビッシリ入っている田中先生は、翌日曜日に福井で予定されている講演会のため、講演終了後もフロアからの質問に無理して丁寧に答えた後、午後5時過ぎに急いでタクシーに乗り込み、中央道を飛ばして午後6時3分塩尻発の「特急しなの」に乗車すべく、風のように去って行った。伊那からは権兵衛トンネルを抜けて木曽福島駅に向かった方が45分弱で行けたのになぁ。国道19号はトラックも多く夕方は渋滞するから塩尻駅を目指したようだが、果たしてちゃんと間に合ったのだろうか? 心配だ。

 せっかくの「ナゴヤドーム」も、中日大敗でトホホ   2008/05/06 

■5月3日発売の『月刊クーヨン(6月号)』「特集:パパとたのしむ絵本」で、われわれ「パパズ伊那」の記事が3ページにわたって掲載されています! 読んでみて!

■5月4日(日)は当番医。午後6時過ぎまで、ほとんど休みなく(「ちむら」のちらし寿司を美味しく頂いた昼休みが15分)120人以上は診たな。さすがに疲れた。

■5月5日(月) 木曽福島駅に車を停めて「特急しなの」で名古屋へ向かう。千種で下車して大曽根まで戻り、そこから「ナゴヤドーム」へ。小雨のぱらつく怪しい天気ではあったが、ドームなんでね、試合は絶対に雨天中止にはならない。午後2時試合開始のドーム開場は正午。11時20分には到着して、ちょっと早過ぎたかと思ったが、開門を待つファンですでにごった返していたのには驚いた。世の中にはこんなにも熱烈なドラゴンズ・ファンとタイガース・ファンがいたんだ。

「チケットぴあ」で取れた座席は3塁側の5F最上段で、ぼくらの後ろにはもはや席はなく、本当に天井に一番近い席だった。でも、 ナマの野球場はいいねぇ。試合前から生ビールをぐびぐびやって否が応でも気分は盛り上がるのだった。ところが、中日先発の中田が御乱調で1回表に7点を阪神に取られた。それでも、息子たちは伊那から持っていった(表に「荒木」裏には「森野」と書かれた)プラカードを振りながら(3塁側なのでちょっと遠慮がちに小さな声で)応援歌を歌ったのだった。

試合前にドームのショップでいっぱいドラゴンズ・グッズを購入したのに、試合終了後にはドーム向かいのジャスコ2Fにある別のドラゴンズ・ショップに寄って(ものすごい混雑で、入店するのにずいぶん並んだ)さらにグッズを物色する息子たち。いやはや。GWでホテルはどこも取れず、ナゴヤドームに一番近い宿とのことで、「プチ旅館いちふじ」を楽天トラベルで予約してあった。地下鉄名城線で2駅先の「平安通」で下り、地上へ出ると外は激しい雨。当初、夕食は栄にでも出て食べようかと思っていたのだが、試合は大負けだったし雨だし挫けてしまい、宿で教えてもらったすぐ近くの居酒屋 「創菜喜酒 和み家」へ。ここはなかなかに美味しかった。それにしても、今日はおとうさんビールの飲み過ぎだね(^^;;

■5月6日(火)「プチ旅館いちふじ」のご主人は凄い。英語も広東語も自由に操って、外国人宿泊客に対応していたぞ。それから、朝食のバイキングがたいへん旨かった。この朝食なら、もう一度泊まりに来てもいいか。ただし、築うん十年の古い古い建物なので、横の部屋、上の部屋の話し声や振動が筒抜けなのだ。ぼくらの隣の部屋に泊まられた若いご一家、ぼくのイビキがうるさくてゴメンナサイ(^^;;

朝食後に部屋で「ちりとてちん総集編」を30分だけ見てからチェックアウトし、名古屋港水族館へ。お昼はイタリア村でスパゲティ。それから栄の松坂屋本店へ行って子供服を買う。名古屋のハイソな人たちが多数いたな。案外都会だね、名古屋は。失礼いたしました。それから名古屋駅高島屋11F「三省堂書店」へ廻って、長男がずっと探していた『ほしのはじまり 決定版 星新一ショートショート』編・新井素子(角川書店)を購入。定価税別で2500円の本で、長男の財布には2000円しか残っておらず、仕方なくおとうさんが700円をカンパ。

帰りの指定席は「喫煙席」しか取れなかったので、当初「メルヘンハウス」に寄って千種から「しなの」に乗り込む予定だったが、タバコの煙に燻されて90分耐えるのは忍びなかったので、「メルヘンハウス」はあきらめて名古屋駅の10番ホームに並んで自由席に座席を確保した。こうして、名古屋発 16:00 の「しなの」に乗って無事帰還いたしました。疲れたけれど充実したGWが過ごせたかな。



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