しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


2002年:<10/11月>  <12/1月>
2003年:<2/3月>  <4/5月> <6/7月> <8/9/10月><11/12月>
2004年:<1/2/3+4月><4 / 5/6月>< 7/ 8/ 9月> < 10/ 11月>
2005年:< 12月/ 1月>< 2月/ 3月><4月><5月/ 6月><7月><8月><9月><10月><11月/12月>
2006年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月/7月><8月><9月><10月><11月><12月>
2007年:<1月><2月><3月><4月><5月><6月><7,8月><9月><10月><11,12月>
2008年:<1,2月><3月><4月><5月、6月><7月、8月><9月><10月・11月>

●「不定期日記」●

 コミュニケーションの希望            2008/12/31 

■今年の7月に飯田で聴いた、佐々木正美先生の講演会「コミュニケーションの希望」での、佐々木先生の「ことば」を再録。

  ・家族とのコミュニケーションも取れない人が、他人とコミュニケーションを取れる
   わけがないのです。
  ・その子供が、いろんな人との「よい人間関係」が持てるように育てるのが親の役目。
  ・人間関係を失えば失うほど、人間は「人間性」を失ってしまう。
  ・人はさまざまに自分の意味や価値を探している。でも、それは「人間関係の中」でしか
   見つけられないのですよ。

  ・「喜び」を分かち合う経験をたくさん(十分に)つんだ子供でなければ、絶対に、
   他者と「悲しみ」を分かち合うことはできないのです。
   相手の「心の痛み」が感じ取れない(共有できない)のです。
  ・おかあさん、子供がよろこぶことを喜んでしてあげてください。

・精神科医の斉藤環さんが「いまの青年たちに『根拠のない自信』をあたえたい」と書かれていました。この「根拠のない自信」とは、エリクソンの「基本的信頼」と同じものだと思います。今日、われわれ親は「根拠のある自信」ばかりを育ててきました。「根拠」とは、その子が中学で学年一番の成績を取ったとか、スポーツの記録がその学校で一番だとか、そういう事実のことです。でも、自分がどんなに「それ」ができても、いつかは(例えば、高校へ進学すれば)必ず自分よりもっとできる優秀な人と出会うのです。そうすると、その「根拠のある自信」はたちどころに崩れ去って、劣等感に変わってしまうのです。さらには、それが「できない人」の前では優越感になる。「根拠のある自信」しかないと、人間は大変なことになります。まず「根拠のない自信」が基礎にあって、その上に「根拠のある自信」は築き上げられなければなりません。

  ・あの秋葉原の事件の加藤容疑者が、携帯の掲示板にこう記載していました。
  「何も根拠がないくせに、自信ありげに振る舞っているヤツを見ると、無性に腹が立つ」と。
   でも、それでいいのです。
  「根拠のない自信」がある人こそが、人を信じることができる人なのですから。



■『メメント・モリ』で有名な写真家、藤原新也さんのブログにあった「ことば」

   「私たちは彼、小泉毅に自らの願望を託してはならない」


■最後は、『母の友 /2009年2月号』の投書欄(98〜99頁)に載った、兵庫県西宮市・日比慶子さんのお手紙から、後半のみ抜粋。

 夫婦仲良く、居心地のいい家庭で育った子どもは、絶対に犯罪者にはならないと思います。愛情で満たされた者は(もちろん、本人の欲しい愛情に限りますが)、愛をあげることはあっても、奪うことはない。
 友だちと仲良くしたいなら、周りの人と上手におつき合いをしたいなら、まずは、夫婦仲良くすることが、最も大切なことと思います。

 子どもたちの幸せのために、一人でも多くの人が、ご主人と仲良く楽しい家庭を築き上げていってほしいと願っています。
 夫婦は異な物、生まれ育った環境が違うのだから、どちらかが折れないと上手くいきませんよね。決して完璧な人間はいない。得手不得手もあるでしょうし、助け合ってこその夫婦。気づいた者がすればいい。世の中、これで成り立つのではないかと思うのですが……。
■たしか、橋本治さんも言ってたように思うが、「家族」という「社会単位」が、来年は最も注目されるように思います。

 それではみなさま、よいお年を!


 今年よく聴いたCD「ベスト10+α」           2008/12/29 

■今年もいよいよ残りわずか。ご紹介します、今年よく聴いたCDたちです。

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<縦の列= A, B, C, D 横の列= 1, 2, 3, 4, >


1位:『まっくらやみのにらめっこ』ハンバートハンバート(MIDI INC./ MDCL-1489) <B-2>
   これははまった。繰り返し繰り返し聴いた。診療中も車の中でも。ほんとうにいい。
   <B-3>は、ハンバートハンバートのデビュー盤。なんか妙にオシャレで楽しい。

2位:『I am Sam /オリジナル・サントラ盤』<A-2>
   780円で中古盤を購入。CDケースを無くしてしまった。このCDも診療中によく聴いたな。何度も何度も。
   看護婦さんも気に入ってたのかな。聴いていて飽きが来ない、優れたビートルズ・トリビュートCD。

3位:『McCOY TYNER/ GUITARS』McCOY TYNER(HALFNOTE/ HN-4537)<A-1>
   これはビックリのCDでした。曲者のギタリストたちと余裕で渡り合う、枯れた味わいのマッコイ・タイナー。
   じつに渋いぞ。DVDがこれまた見もの。デジョネットがいい仕事してるんだ。

4位:『APRES-MIDI VOICES〜SWEDISH BEAUTY FOR SPICE OF LIFE』(SOL CO-0001)<C-2>
   あの橋本徹氏による、スウェーデン産ジャズ・ヴォーカルのコンピ。これはスグレものだった。
   全体にゆるい感じがよい。ずいぶん気に入って、<B-1>「リアル・グループ」、
   <C-4>「スライディング・ハマーズ」を購入。
   似たようなコンピ<C-1>『Quiet Moments Narrow Daylight』 (IPM-8014) も購入。
   こちらの選曲は、タワーレコードの吉村健。<C-3>『FIKA?』(Spice of Life/ PBCM-61035)
   は出たばかり。それぞれ何曲かはかぶるが、気にならない。しばらくは「北欧系ジャズ」が流行るのではないか?
   そう言えば、『スエーデンに愛をこめて』<A-4>アート・ファーマー・クァルテットとか、
   モニカ・ゼタールンドとか、「Dear Old Stockholm」とか、昔からスウェーデンは JAZZと
   相性がよかったんだよね。

5位:『don ross Live in Your Head』(GFM 20062)<D-4>
   ドン・ロス! カッコよかったなぁ。アンディー・マッキーとのデュオ盤も購入<D-2>

6位:『MANARE / Manuel Ochoa Trio』(MDR-1468)<A-3>
   珍しい、アルゼンチンのジャズピアノトリオ。へんなジャケットが印象的。

7位:『ミナのセカンドテーマ』山下洋輔トリオ(ディスクユニオン/ SMJX-10075)<D-3>
   まだ若き山下洋輔・中村誠一・森山威男3人の、パワー炸裂!!


以下、省略(^^;; スミマセン。

 『思考の整理学』外山滋比古(ちくま文庫) 読了             2008/12/28 

■ビジネス本とか、自己啓発本とか、ハウ・ツー本は、ほとんど読まない。興味がないのだ。ただ、本屋さんでふと手にした「この本」は読んでよかったと思う。いや、著者の外山滋比古氏は「そういう本」の中に勝手に分類されたことを怒っているかもしれないな。こういう、他人の頭の中があからさまに開示されること、それ自体が凄いことだから。決して、ハウ・ツーではないのだよ。

■ずいぶんと旧聞に属する話題だが、NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」の「100回記念っ!脳活用法スペシャル!」を見た。今まで登場したプロフェッショナル(宮崎駿とかいろいろ)の発想法が紹介され、茂木センセイが解説してくれたのだが、ぼくは思った。「あれっ? これって、どっかで聴いた話だよな」と。それが、『思考の整理学』外山滋比古(ちくま文庫)だったのだ。なんだ、みんな「この本」に書いてあるじゃん。

■賢人が発想する場所に関して、『思考の整理学』にはこう書かれている。「三上・三中」と。「三上」とは、中国の欧陽修が残した言葉で、彼は文章を作るときに、すぐれた考えがよく浮ぶ三つの場所として、馬上、枕上、厠上をあげた。これが「三上」である。「馬上」は、今ならクルマの中だ。「プロフェッショナル・仕事の流儀」では、タクシーの中が発想の場だという人がいた。「枕上」とは、寝て起きた時にいいアイデアが浮かぶということ。これは、宮崎駿監督の言葉だ。「厠上」とは、トイレの中という意味。なるほどねぇ。欧陽修は「三多」ということばも残している。看多(多くの本を読むこと)、人故多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の秘訣三ヵ条である。

これに対して、著者の外山センセイは「三中」を提案しているのが面白い。「無我夢中」「散歩中」「入浴中」の三つだ。いずれも、何かをしている「最中」であることが重要だと外山センセイは言う。それから、「忘却」や「しゃべる」「寝かせる」ことの重要性や、違う分野の人間が垣根を越えて集い、アイデアを出し合うことの意義を、熱く語っている。本当にそのとおりだよなぁ。この本を、安易に「ハウ・ツー本」に分類してしまって、ごめんなさい。もっともっと、ずっと深い本だよね。

 ほんとですかあ?                  2008/12/25 

■チキンは上手く焼けた。それにしても、でっかい鶏もも肉だったなあ。例年どおり、桜町の吉野屋鶏肉店で買ってきた「鶏のもも肉」だ。予想通り中まで味がよくしみていて、ちょうどいい塩加減。とっても旨かったよ。

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テーブルには、あと「特製ミネストローネ」と五一わいん製のスパークリングワインが並んだ。夕食が済んで、急に小4の次男がそわそわし始めた。「どうしたんだい?」と訊くと、「今夜、サンタさんが来るのに、部屋がちらかっていると恥ずかしいから」そう言うと、おとうさんが散らかしたテーブルの上を片付け始めたのだ。散乱した本もキレイに並べ終わると、サンタさんに欲しいプレゼントを書いた手紙を玄関に置いて(うちには煙突がないので、サンタさんは玄関から入ってくるのだ)「今日は早く寝ないとね」と、そそくさと2階へ上がっていった。かわいいもんだな。

「こんな記事」があったよ。あはは(^^;;


■それから、片岡先生が「こんなことを書いている」のを見つけて笑ってしまった。本当にそのとおりだよね。ぼくも最近よく「ほんとですかあ? 」とおかあさんに言われて「むっ」とすることが実に多いのだ。人が真剣に説明しているのに、その言い様はあまりに失礼ではないか、ねぇ(^^;;

 クリスマスの鶏もも肉ほか、もろもろ準備         2008/12/23 

■今日は、朝からずっと年賀状の図案作り。牛の絵は、例によって小6の長男が描いてくれた。ありがとね。何とか頑張って夜には年賀状が完成。先ほど印刷も無事終了した。やれやれ。毎年、約15人ほどが楽しみにしてくれている「わが家の年賀状」だが、今回も皆さまの期待を裏切らないデキになったと自負しておりますよ! お楽しみにね(^^;;

それから、明日のクリスマス・イヴに食べる「鶏もも肉」は、毎年おとうさんがダッチオーブンで焼くことになっている。そこに、今年は頼もしい助っ人が現れたのだ。ありがたいねぇ。それは<ここ>です。今年は、このレシピどおりに準備したのだ。例年、塩加減がイマイチなので、今年はヨーグルト入り塩水に一晩冷蔵庫で漬け込むから、期待してもいいんじゃないか?

『限りなき夏』クリストファー・プリースト、古沢嘉通・編訳(国書刊行会) 今朝9時前で読了。これは面白かったな。『逆転世界』の基本コンセプトになった「リアルタイム・ワールド」を含む前半もよかったが、後半の「ドリーム・アーキペラゴ」シリーズが凄かった。幻惑的、官能的な世界がリアルに構築されていて、北から南へ広がる群島の風景が、ぼくにも確かに見えたような気がする。とにかく「火葬」がスゴイ。これって、プリースト版「熊の木本線」だよね。「奇跡の石積」も無気味で怖い。そう来たのか、プリースト君。またしても、まんまと騙されたよ。

 北原こどもクリニック 忘年会         2008/12/20 

松尾たいこさんが参加した、著名イラストレーター134名が人生で最も心うたれた本の装画をそれぞれ発表する企画展「わたしと、この一冊」(東京イラストレーターズ・ソサエティ主催)ていうのが気になって検索してみたら、「ここ」に載っていた。面白いんだが「この一冊」が何なのか分からないんだな。作者名もね。そこが残念。

■先週土曜日に、今シーズン初のインフルエンザがでた。生後4カ月の女の子で、お兄ちゃん、おかあさん、おとうさんと伝染して、最後に赤ちゃんにきた。乳児なのでタミフルは処方せず。今週は、金曜日までに新たに3人の患者さんがでた。4人全員が西箕輪在住(うち兄妹が1組)で、すべてA型。このぶんだと、年内はまだ大きな流行には至らない感じだ。新聞で大騒ぎするほどのことではないな。例年どおりだと思うよ。

■昨日の夜は、北原こどもクリニックの忘年会が高遠町の中華料理屋「満月」で行われた。日ごろお世話になっている医薬品卸しメーカー担当者の方々も全員出席してくれて、にぎやかに楽しく美味しく、みな満腹になって無事終了した。それぞれの出し物も、ほのぼのと盛り上がってよかったよ。中部日本の原さんが「ビジュアル系ロックミュージシャン」、スタッフ全員で「着ぐるみ太極拳」、ぼくら家族4人は「崖の上のポニョ」の踊り。みなさんおつかれさまでした。

 『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ著、土屋政雄・訳(ハヤカワepi文庫)  2008/12/17 

■ ……を、思わず買ってしまった。いなっせ1F、西澤書店にて。だって、単行本のオリジナルの表紙(カセットテープの)と違って、この文庫の表紙は凄すぎる! ぼくが高遠町図書館から借りてきて読んだのは、ちょうど2年前の11月だったが、この松尾たいこさんが描いたイラストを本屋さんで目にして、ぼくは瞬時に、主人公キャシー・Hと、彼女の親友ルースとの数々の重要なシーンが目に浮かんだ。やはり、この本は忘れることのできない傑作だったのだ。松尾たいこさん装画の本が好きだ。シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社)の表紙もよかったなぁ。

この文庫の帯の裏を読むと、こんなことが書いてある。
この<プレミアム・カバー・エディション>に使用されている松尾たいこ氏の装画は、著名イラストレーター134名が人生で最も心うたれた本の装画をそれぞれ発表する企画展「わたしと、この一冊」(東京イラストレーターズ・ソサエティ主催)のために、本書を「三度読んだけど、そのたびに感動」した松尾氏が描き下ろしたものです。
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 『限りなき夏』クリストファー・プリースト、古沢嘉通・編訳(国書刊行会)読書中  2008/12/15 

『四国八十八カ所感情巡礼』車谷長吉(文藝春秋)読了。前回は著者に対して失礼な発言だったと反省して、以下、巡礼の終盤部分を引用させてもらいます。
四月十八日(金)

(前略)このお寺に着くまでに、歩き遍路の人に出逢ったのは一人だけだった。お寺に着くと、例によってバス、ハイヤー、タクシー、自家用車で乗り着けて来たお遍路さんたちが、群をなして般若心経を上げていた。楽をして極楽へ行きたい、という虫のいい考えの人たちの浅墓な声である。つくづく厭になる。私は物書きだから、恐らく地獄へ行くだろうが、この楽をして極楽へ行きたい人たちも、恐らく地獄へ行くだろう。今日、改めてそう確信した。憎悪。

 私の母(信子)はいま八十三歳である。母が亡くなったら、極楽へ送ってあげたいと思うている。各札所で判を捺してもらう判衣を母の棺に納めて上げようと思うているのだ。母の屍体に着せて上げようと念じているのだ。人間ほど不幸な生物はいない。生きている間にあらかじめ、将来自分が死ぬことを知っているのだ。他の生物は将来自分が死ぬことこと知らない。だから鶯はあれほど美しい声で鳴けるのだ。私は作家などになってしまったが、もう二度と人間には生まれて来たくはない。今日は終日、それを思うていた。(111 頁)
■年賀状図案作製とか、忘年会の余興の準備とか、やらなきゃいけないことがいっぱいある時に限って、読書に逃避してしまう日々。先だって、日本映画『アフタースクール』を見た後、伊那図書館から『限りなき夏』クリストファー・プリースト著、古沢嘉通・編訳(国書刊行会)を借りてきていたことこと思いだ。おぉそうじゃ、この本も読まなきゃいけないのだった。ということで、早速最初の2篇『限りなき夏』『青ざめた逍遥』を読む。どちらも、純愛タイムトラベルもの。上手いなぁ、プリーストは。甘酸っぱくて、切なくて、しみじみといい話ではないか。

ただ、『青ざめた逍遥』の最後のページがどうもよく分からない。タイムパラドックスなのか? 年輩の紳士は誰? 主人公の父親なのか? 検索して中村びわさんの書評を読むと、やはりラストのところに疑問を呈していた。おぉ、誰か教えてくれ。 いやまてよ、やっぱり分岐したんだね。『双生児』みたいに。ということは、この主人公自身の初恋は成就できなかったということか? う〜むよくわからん。

 『ジョーカー・ゲーム』柳広司(角川書店) 読了      2008/12/12 

■ジョン・ル・カレは昔からの憧れで、「いつかは ル・カレ」を合言葉に、ル・カレのハヤカワ文庫版をブックオフで見つけては、しこしこ集めてきた。でも、正直に告白すると、ル・カレは未だに一冊も読破してないのだった。フリーマントルは数冊読んだ。面白かった。だがしかし、ル・カレは敷居が高かった。難解で退屈で、ぼくにはその忍耐力がなかったからだ。スパイは好きだ。ダブル・オー・セブン、ナポレオン・ソロ。派手な立ち回り、危機また危機。

でも、本物のスパイはとっても地味で、目立たずに気配を消すことが信条なのだな。一度スパイと疑われたら、そいつの存在価値はなくなる。「死ぬな、殺すな、とらわれるな」は、大日本帝国陸軍の秘密組織「D機関」の責任者、結城中佐の口癖だ。

この本『ジョーカー・ゲーム』の一番の魅力は、その読みやすさだ。難解なはずのスパイ小説が、すっと入ってくる。一気に読める。じつに面白い。それでいて、そこはかとない冷徹な深淵を見せつけられた思いがした。収録された5篇の短編どれも読み応えがあったが、ぼくが特に好きなのは「ロビンソン」だ。なかなかにレベルの高い短編集ではないか。

 映画『アフタースクール』      2008/12/10 

■伊那シネマ倶楽部を退会してしまったので、映画館で映画を観る機会がめっきり減ってしまった。今年観たのは『黄金の羅針盤・ライラの冒険』と、『崖の上のポニョ』の2本だけか。 最近はもっぱらBSかCSでのテレビ上映の映画ばかりだ。DVDを借りてきて見ることはめったにない。じっくり腰を据えて見る時間がなかなか取れないので、返却期日までに見られないことも多々あるからだ。

先週末は TSUTAYAで新作・旧作オール100円フェアだった。日曜日の閉店30分前、DVDRを購入するために入店したぼくは、それでもとレンタルコーナーを回ってみると、1本だけ借りられずに残っていた『アフタースクール』を見つけた。新作なので翌日返却しなければならないが、ずっと見たかった映画だったし、それに100円だったからね、思わず借りて帰った。その日は無理なので、月曜日の夜に見ることにして火曜日の開店前に返却すればよい。

で、月曜日の夜、子供らも寝静まった22時半、『アフタースクール』を見る。噂には聞いていたので、それなりに注意深く見ていたつもりだったが「えぇっ!?」と、しっかり騙されてしまった。いやはやお見事! 面白かった。叙述ミステリーは、折原一とか、クリストファー・プリーストとか、筒井康隆『ロートレック荘事件』とか、けっこう好きなのだが、これらは「文字だけ」の小説だから読者をミスディレクションすることが可能なのであって、まさかそれを「映画」でやってしまうとは本当に驚いた。この監督は凄いぞ!

しかし、何の矛盾点、違和感なく整合性を保って「この映画」が出来上がっているかどうかを確認するためには、映画が終了後直ちに2回目を見る必要があった。さらにこのDVDには、本篇を見ながら監督と大泉洋が対談した副音声を収録したバージョンがあって、これも見るとなると、3度見て楽しめるという訳だ。そこまでは考えていなかったので、結局1回見ただけで返却するしかなかったのは、すごく残念だ。近いうちにもう一度借りてこなければ(^^;;

■見てみたい新作映画の情報は、ぼくの場合、今野雄二さんか、金原瑞人さんから得ている。素人さんが集まっていろいろ感想をアップしているサイトは、映画を見た後に見に行くことはあるが、見る前に読みにいくことはない。それは、面白い新刊本を探す時も同じだな。信頼する書評家や、FADV時代からの目利きの読み手のサイトが、ぼくの情報源のすべてだ。

 伊那のパパズ絵本ライヴ(その49)伊那市保育園保護者会連合会 at 伊那市民会館   2008/12/07 


12/08(月)信濃毎日新聞朝刊「信州ワイド」欄にも記事が載りましたね。

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1)『はじめまして』
2)『とのさまサンタ』長野ヒデ子(リブリオ出版) →伊東
3)『ふしぎなナイフ』(福音館書店) →北原
4)●紙芝居『くろずみ小太郎旅日記・その1』 →倉科

5)『とんでいく』作: 風木一人、絵: 岡崎立(福音館書店) →坂本
6)『いいからいいから3』長谷川義史(絵本館) →宮脇
7)●紙芝居『くろずみ小太郎旅日記・その2』 →倉科


8)『かごからとびだした』
9)『パンツのはきかた』
10)『クリスマスのほし』ジョセフ・スレイト文、フェリチア・ボンド絵(聖文舎) →北原
11)『おどります』高畠純(絵本館)
12)『うちのかぞく』(世界文化社)
13)『ぶきゃぶきゃぶー』内田麟太郎、竹内通雅(講談社) →倉科
14)『ふうせん』
15)『世界中のこどもたちが』

3月の喬木村以来、ひさびさの5人フルメンバー揃い踏みでしたね。いや、よかった。
1時間半、長かったけど充実した時間でした。ありがとうございました。

 『四とそれ以上の国』いしいしんじ、『四国八十八カ所感情巡礼』車谷長吉   2008/12/05 

■さぬきうどん以来、どうも「四国」がマイブームのようだ。不思議なことに、ぼくがずっと気になっている人たちも四国にこだわっている。最近知った宮田珠己氏も「日記」を読むと、いま四国遍路の取材に行っているし。それから、孤高の私小説作家・車谷長吉氏もね、本を出したばかり。

このところトラブル続きで何かと問題の多い「ピースボート」に乗って、夫婦で世界一周旅行に行った顛末をつづった『世界一周恐怖航海記』車谷長吉(文藝春秋)がすごく面白かったので、二匹目のドジョウ的新刊『四国八十八カ所感情巡礼』車谷長吉(文藝春秋)を高遠町図書館で見つけて早速借りてきた。まだ、第二十三番札所・薬王寺に着いたところまでしか読んでいないが、彼の巡礼の旅は前途多難だ。早々に奥さんが巡礼宿の階段を転落し、頭部を9cmも縫うケガを負う。幸い頭蓋内は無傷ではあったが、それでも巡礼の旅は続行され、歩く道々で病院に寄っては検査したり抜糸したりの日々。さらには足首をねんざしたりと、散々な毎日だ。

夫の車谷氏も問題を抱えている。昔から肛門の締まりが悪いのだ。『世界一周恐怖航海記』の中にも、チリのサンチァゴの街中で突然便意を催し、その場でどうにも我慢できなくなって街頭でウンコをたれたことが書かれていて驚いたが、今回の四国巡礼では、ほとんど毎日「野グソ」をたれているのには、もっと驚いた。「二月二十六日(火) 今日も山の中でうんこをした。雨が降っていたので、大変だった。雨合羽を着たまま、するのだ。」(p33) 本当に車谷氏は変な人だ。その「変さ」加減では、ゆうに宮田珠己氏の10倍はいってるな。今まで生きてきた悪行から考えると、「俺は地獄に堕ちるに違いない」と覚悟しながらも、現世で四国巡礼のお詫びの旅にでれば、もしかすると赦してもらえるかもしれない、という安直でミーハーな考えでいるところが、車谷長吉氏の一番の魅力だと思う。それでいて、他の狡い巡礼者を目にすれば、直ちに「お前なんか地獄に堕ちればいい!」と断言する身勝手さも好きさ(^^;)

■さて、『四とそれ以上の国』いしいしんじ(文藝春秋)には、よわった。昨日、伊那のTSUTAYA の新刊コーナーで見つけて買って帰ったのだが、巻頭に載っている「塩」という短編がもう全くわからない。ほとんどお手上げ状態で、すっかり途方に暮れてしまったよ。いったい何なんだ? 男のシオマツリと女のシオマツリって? 瓶の中の四女って何? 盛り上がって動く土の筋って何? 七女・ウキって、南海キャンディーズの「静ちゃん」をイメージすればいいの? スティーマーって、愛犬じゃなかったの? 困って検索したら、高橋源一郎氏も全く同じ思いだったようだ。それにしても、「初いしいしんじ」がこの作品とは、何とも気の毒なことよ。

途方に暮れながらも「塩」を読み終わり、せっかくお金を出して買ってきた本だから、我慢して次の「峠」に読み進んだ。そしたら、ちょっと「すっ」と入ってきたのだ。あ、そうか、夏目漱石の『夢十夜』か、内田百けんの『冥途』のように読めばいいんだ。でも、これらの小説では、夢の主体は自分なので、小説の主人公はみな一人称のはず。でも、『四とそれ以上の国』は違うんだな。うーむ、ますます分からなくなってきたぞ?

 映画『ONCE ダブリンの街角で』と、佐々木昭一郎『四季〜ユートピアノ〜』   2008/12/03 

■Cのコードで、ただ四分音符が並ぶだけの「ドレミレ ドレファミ ドレミレド」という単純なメロディが、どうして僕らの心をこうも鷲掴みにするのか? 音楽というのは本当に不思議だ。音楽への夢を捨てきれないで「穴の空いたギター」を、ボブ・ディランかブルース・スプリングスティーンみたいにかき鳴らす、しがないストリート・ミュージシャンの中年男が、チェコからアイルランドへ移民してきた若い女とある夜出会う。男の実家は掃除機修理業者で、父親が一人で切り盛りしている。母はすでに亡い。翌日、故障した掃除機を修理してもらおうと、若い女は掃除機を引きずりながら中年男と再会する。昼食後、二人は昼休みの楽器店へ赴く。そこで、二人が唄う「うた」が、この曲「Falling Slowly」だ。

映画が始まっても、ぼくはけっこう醒めた目で画面を見ていたのだが、この楽器屋のシーンで一気にぐぐっと引き込まれた。これは、もしかすると凄い映画かもしれない、と。 YouTubeにもあった。それはこれ「Falling Slowly」です。それにしても、本当にいい曲だよなぁ。

訳有りの若い女は、笑うとジャニス・ジョプリンかキャロル・キングのようになる。服装も地味だし、決して美人ではない。彼女が男から借りたCDラジカセの電池が無くなってしまい、深夜コンビニまで買いに行って、帰りの路上でイヤホンを聴きながら一人唄うシーンが好きだ。『死刑台のエレベーター』で、ジャンヌ・モローが夜のパリの街を一人彷徨する場面を思い出したよ。

■音楽と映像の幸福な融合。ぼくはこの映画を見ながら、NHKでずいぶんと昔に放映された不思議なドラマ『四季〜ユートピアノ〜』を思い出していた。何度目かの再放送をようやくビデオに録画することができたのだが、そのビデオも劣化が進み、今じゃ砂の嵐となってしまった。映像の魔術師、佐々木昭一郎の傑作だったのに。このドラマで繰り返し使われていた音楽が、マーラーの交響曲4番だ。指揮はたぶん、バーンスタインじゃないかと思ったが、NYフィルじゃなくて、N響だった。佐々木昭一郎はプロの俳優を使わない。素人にカメラの前で演技させ、それがごく自然で、まるでドキュメンタリーのように錯覚してしまうほどだった。

そういう意味では、この『ONCE ダブリンの街角で』もまったく同じだ。ラストシーンで再びこの曲「Falling Slowly」が流れる。不覚にも涙がこぼれた。あっ、ぼくがこの映画に魅せられた原因が、いま分かったよ。それは既視感だ。佐々木昭一郎や、相米慎二の映像の「既視感」だったのだ。

 『パパの色鉛筆 精神科医ヤマトのつぶやき、その他』山登敬之・著(日本評論社)   2008/12/02 

■自作「絵封筒」を、送り先には無許可ですが公開しちゃいます。すみません。

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(その1)


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(その2)


■(その2)の宛先は、先だって新作著書を贈ってくれた山登敬之くんだ。本を読み終わったのでね、読後感想とともに礼状を書いたのだ。

その、『パパの色鉛筆 精神科医ヤマトのつぶやき、その他』山登敬之・著(日本評論社)だが、お世辞抜きで、なかなかによく出来たいい本だと思った。まず何よりも、装丁がいいじゃないか! 荒井良二氏の「女の子」と「色鉛筆と化したパパ」のイラストがよい。帯には「人生50年、精神科医25年 どこから読んでも泣ける、笑える、楽しめる、ヤマトワールドへの旅」と書かれているが、このキャッチコピーに嘘はない。まったくもって「そのとおり」だった。

表題作のエッセイは、小学校入学直後に学校へ行けなくなってしまった少女と、彼女の優しい父親の話。でも、このお父さん、ちょっと出来過ぎだよなぁ。「死ぬなと言えるか」「屋上のひと」「世界の邪悪と戦う少年」「ナイフをつきつける女たち」「自慢のわが子を育てたい」。本の前半に収録されたこれらのエッセイの中に、ヤマト君の人となりがよーく滲み出ている。なかなかにいい文章ではないか。

第2部には、ちょっと毛色の違った文章が収められている。これは!と思ったのは、「そして、船はゆく」と「極私的不登校闘争二十年史序説」だ。後者は雑誌掲載時に読んでいて、山登くん、よく思い切って書いたよなぁと、しみじみしてしまったのだが、改めて読み返してみると、ぜんぜん「しみじみ」している場合ではなかったんだね。落語家で言えば、入門した師匠を否定することだ。それはあまりに辛すぎる。5年前に伊那であった「ひきこもり講演会」で、高岡健氏が斉藤環氏ことをあれほどまでも毛嫌いしている訳がよく分かった。長年の怨念がこもった代理戦争だったんだね。

そうして第3部。「鉄観音」がいい。「川を見にゆく」もいい。「呪いのかなた」にはちょっとビックリだ。こんなん読むと、ぼくには児童精神科医はとても務まらないなと思ってしまう。ヤマト君は、p222でこんなことを言う。

この業界にもさまざまな人間がいる。私たちの仕事は、なまじ人の役に立つ(こともある)からクセモノである。私には信じられないが、自分がすごく立派なことをやってると信じて疑わない医者もいる。そういう御仁と話してると、なんだい、しょせんはメシの種じゃないか、と茶々を入れたくなってしまう。この感覚は健全なのだろうか。ライ麦畑のむこうに立つホールデン君だったらなんと言うだろう。

■小児科医が、患者である子供と診察室で対面した際、一番大切なことは、自分の目線を低くして、子供と視線を一致させることだ。同じ高さの「目線」になることで、子供から信頼される大人になれる。ところが、児童精神科医はそんな甘っちょろい技ではとても子供らと対峙することはできない。この本を読んで、何よりもまず心に沁み入ったのは、そういうことだ。山登くんの立ち位置は難しい。基本的には、患児にそっと寄り添うだけということか。結果を焦ってはいけない。短気な小児科医である僕には、とても信じられないようなタイムスパンでの付き合いの覚悟が必要なんだな。これはいい本でした。ぜひ読んでみて下さい。

 映画『ONCE ダブリンの街角で』と、相米慎二監督作品『ラブホテル』     2008/12/01 

■前回「無駄に長い映画」のことを貶したので、じゃぁ上映時間90分以内の映画にどんな傑作があるかという話。じつは、つい最近まさに「そんな映画」を2本立て続けに見たのだ。1本目は、CS「日本映画専門チャンネル」で相米慎二特集の1本として深夜密かに放映された『ラブホテル』、2本目は、TSUTAYA で借りたDVDで見たアイルランド映画『ONCE ダブリンの街角で』だ。映画っていうのは、こうでなくっちゃいけないね。

不思議なことに、この2本の映画にはずいぶんと共通点がある。

1)めちゃくちゃ低予算映画であること。従って必然的に全撮影期間は2週間とちょっとだった。
2)上映時間が、前者は88分、後者は87分。
3)ハンディ・カメラと長回し(ワンシーン・ワンカット)が多用され、ドキュメンタリータッチであること。
4)しがない中年男(Guy)と、わけアリの若い女(Girl)の出会いと別れの映画であること。
5)映画の「挿入歌」が重要なモチーフとして、大切なシーンでほぼフルコーラス流されること。

■例えば(5)について。『ラブホテル』では、山口百恵の知られざる名曲「夜へ」。主人公の「名美」が不倫相手の男に電話して、先方はとっくに切っているのにそれでも受話器を離さず、延々と一人語り続ける印象的なシーンで流された。それから、もんた&ブラザーズの「赤いアンブレラ」が港の埠頭で流れるシーンも忘れられないな。ぼくは確かこの映画を映画館で観ているはずなのだが、いろんなシーンをすっかり忘れ去っていていた。ちょっとショック。でも、相米慎二の映画の中では、この映画が一番好きかもしれない。(つづく)


 

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