しろくま
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北原こどもクリニック  



しろくま 不定期日記


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●「不定期日記」●

 母、永眠す。       2009/09/26 

■昨日、9月25日午後4時30分、母は息をひきとった。いや、レスピレーターはまだ動き続けていたから、正確に言うと最後の心臓の拍動が停止し、心電図モニターがフラットになった。その最後の時、ぼくは母の左手をずっと握っていることができた。よかった。本当によかった。その朝、病棟の看護師さんから血圧が測定不能になって、SpO2も0%、尿も出ていないと高遠の兄に連絡があり、兄から電話をもらったぼくは、午前8時に母の病室を訪れ、午前中は何とか大丈夫だろうと判断し一旦帰宅した。

もう電話予約が入っていたので、既に入った予約の患者さんと直接来院の患者さんだけを診て午後は臨時休診とし、午前10時半過ぎに再び伊那中央病院へ向かった。その後は、兄と共に母のベッドサイドでいっしょにいることができたのだ。

つくづく考えるに、母はじつに気配りの人だった。秋の連休中だと、遠くの親戚は高速道路が大渋滞で困るだろう。来週に入ると息子たちは忙しそうだ。14年前に亡くなった夫(ぼくの父)の命日、10月10日まで本当は頑張りたいのだけれど、それはちょっと無理。深夜だと息子たちは間に合わない。となると、今日の午後しかないわね。そう考えたに違いない。おかあちゃん。6月25日の朝、伊那中央病院に入院してから、まる3カ月。ほんとうによく頑張ったね。どんなにか、病院のベッドの上でなく、高遠の家へ帰りたかったことだろう。よかったね、これで家へ帰れるよ。親父さんがようやく迎えに来てくれたんだね。本当によかった。

おかあちゃん! ぼくを産んでくれて、ほんと、ありがとう。ぼくを大切に育ててくれてありがとう。

不甲斐ない息子ではあるけれど、これからも、そっと優しく見守っていてください。


■9月28日(月)は、高遠で母の葬儀がありますので、北原こどもクリニックは臨時休診です。ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。9月29日(火)は、平常通り診療いたします。


 『ミレニアム2 火と戯れる女(上・下)』(早川書房)読了    2009/09/24 

■ああ面白かった。上巻の300ページを過ぎたあたりから一気に物語が動き出して、後は下巻の最終ページまで怒濤の展開。久々の徹夜本だな。いや、実際には徹夜はしなかったけど、やめられない止まらない「かっぱえびせん本」だ。(1)より(2)の方がいいんじゃないか。

それにしても、リスベット・サランデル。めちゃくちゃ格好イイなあ。そうか、そういうワケだったんだ。たまげたなぁ。終盤の雰囲気は、もう昭和残侠伝の高倉健じゃん。となると、ミカエルは池部良か? それとも藤純子? いずれにしても、敵役・脇役・端役に至るまでしっかりキャラクターが書き込まれているから、映画的とでもいうかイメージ喚起力が高い小説であるなあ。

さあ、『ミレニアム3(上・下)』を買ってこなくっちゃ。

森本毅郎・スタンバイ・ブックナビ(4月16日)


 再び、渋谷道玄坂百軒店、ジャズ喫茶「BLAKEY」のことなど    2009/09/22 

■季刊誌『AUDIO BASIC / 2009 AUTUMN vol.52』には、付録のCDが付いていて、これがなんとまぁ! ぼくの大好きなジャズ・ピアニスト、板橋文夫の最新録音盤ソロ・ピアノ集なのであった。いま、例の今川焼/ALTEC 小型フルレンジ・シングルスピーカーでBGMにしながら聴いているところだけれど、雑誌のオマケとは到底考えられないような力作なのですよ! 特に、2曲目の「サマータイム」が凄い。11曲目に、横浜ドルフィーでの同曲ライヴ演奏が収録されていて聴き比べることができるのだが、曲調がぜんぜん違うんだけれど、どっちも好きだなぁ(^^;; それから、案外よくってビックリしたのが4曲目の「メヌエット」。これが意外としみじみ聴かせる名演ではないっすか。これは密かにお買い得でっセ、旦那!

■さて「懐かしのジャズ喫茶」シリーズも、そろそろ佳境を迎えたワケだが、超個人的な思い出に浸るだけのこのシリーズ、正直言って誰も楽しみに待ってくれてはいないと思う。でも、ぼく自身の個人史における重要なパートではあるので、最終回になる予定の、岩手県一関市・ジャズ喫茶の聖地「ベイシー」の巻までは勝手に続くのであった。

■以前に、ぼくの大好きだったジャズ喫茶「ブレイキー」のことを書いたが、実はずいぶん昔に、潰れてしまった「ブレイキー」の追悼文を書いて投稿したことがあった。その前に、独り善がりのジャズ評論を書いて雑誌「Jazz Life」に送ったらボツにされたので、今度こそと気合いを入れて書いたのだ。そしたら、一発で掲載してくれた。うれしかったなぁ(^^;) 載ったのは、雑誌「Jazz Life/ 1982年8月号」だ。昨日、納戸の奥をかき回していたら、あったあった、掲載紙。という訳で、本日は「その文章」を再録させていただきます。

 4月。久しぶりの渋谷。ハチ公口からスクランブル交差点を斜めにつっきって 109 方面へ。つぎつぎとすれ違う、都会のねぇちゃん達の群に感動したり、ため息ついたり。考えてみると、初めて、JAZZ を聴きにこの街へ来た5年前には 109 なんてなかったし、「道頓堀ヌード劇場」のわきの坂を登っていっても、すれ違うのは、上役サラリーマン風の男と、まだ顔のほてりを隠しきれない OL の2人づれぐらいだった。

 百軒店界隈もどんどん変わっていくねぇ、などと感心しながら、まずは『ムルギー』のたまご入りカレーで腹を満たす。よし、ここだけはまだ大丈夫。おっと、それからもう一軒。『音楽館』のかどを右へ折れると、目指す JAZZ喫茶『ブレイキー』。
 ……と、あれっ、ない。『ブレイキー』が無い! 音のしない2階の方をただポカンと見上げていると、人の良さそうなおじさんが階段を下りてきた。
 「あ、ここ、今度、ふつーの喫茶店になるんだよ」
 「つぶれちゃったんですか?」
 「……そーいう言い方しちゃいけないな。都合でやめたんだ。あんた、よく来てたの、そう、じゃあこれからもよろしくね」
 おじさんは忙しそうに、また2階へ消えていってしまった。

 「エ〜〜、ウッソ〜〜」ほんとうにそう言いたかった。日本じゅう、いろんな所を旅したけど、やっぱりここが一番、いつもそう思っていた。レイ・ブライアント、ジュニア・マンス、ワーデル・グレイ、リー・モーガン、ビリー・ホリデイの『レディ・イン・サテン』。それに、もちろん、ドルフィー、アイラー、コルトレーンにロリンズ。それからマレイ、アダムス、ビリー・バング。僕のレコード棚はみんな『ブレイキー』で聴いたレコードばっかしだ。

 ミンガスが消えた時も、モンクがいなくなった時も、ちっとも悲しくなんかなかった。だって、いつでもレコードで会えるもの。一体、どうしてくれるんだい、えっ、『ブレイキー』さん! JAZZ もとうとうおしまいだね、なんて深刻に考えてしまったではないですかい、えっ。わざわざ東京へ出ていっても、もう行くところがないんですよ、えっ。

 取り乱しちゃって失礼しました。最近、ちょっと酒乱ぎみなもので。まあ、でも、いつか知らない街角からあの ALTEC 612-C モニターのハード・ドライビング・サウンドが再び聞こえてくることを、切に願っている今日、このごろのわけで。

(Jazz Life/ 1982年8月号)より

 連休なんか嫌いだ!    2009/09/20 

■今日は朝から雲一つない快晴だった。妻と子供らはサンライフ伊那へテニスに行った。ぼくは午前10時になるのを待って伊那中央病院の母の病室へ。昼飯に売店でサンドイッチを買ってラウンジで食べたら急に眠くなってしまい、そのあと病室でうたた寝。気が付いたら午後1時15分だった。あわてて病院を後にして一旦帰宅し、駒ヶ根駅前の「アルパ」へ。午後2時から、有名な児童精神科医の原田正文先生の講演会「思春期に花開く子育て」があるのだ。昨年の「9月12日の日記」にも書いたが、『完璧志向が子どもをつぶす』原田正文(ちくま文庫)がとても示唆に富んでいて面白かったから、ぜひ原田先生のお話を聞いてみたかった。思いがけず早くもその機会が訪れたというワケだ。

先生の講演に先だって「パパママコンサート」が前座で30分あった。じつは、この「パパ」は我々「伊那のパパズ」に依頼がきたのだが、みんな予定が入っていて断ってしまったのだ。ただ坂本さんが一人で請け負ってくれて代表して絵本を読むことになっていた。ママたちは、「ドレミファそらまめ」という、音大出のママ達で結成した音楽ユニットの3人による合奏。そこへぼくが顔を出したものだから、坂本さんがすっ飛んできて「北原せんせい、いっしょに絵本読んでよ!」ということになった。もしかするとそういう事態になるかもと予測して『かあさんになったあーちゃん』を持参するつもりだったのだが、あわてて家を出たので絵本を忘れてきてしまった。そこで急きょ、坂本さんが持ってきた絵本の中から『だるまさんが』と『ふしぎなナイフ』を読ませてもらった。それにしても、大人相手に絵本を読むのは難しいな。坂本さんは『ねこガム』と『ぐやんよやん』それに十八番の『ねぎぼうずのあさたろう』を読んだ。口惜しいけれど、ぼくよりもずっと受けていた。

■駒ヶ根からの帰り、午後5時前に西春近のテルメに寄って、時速10キロで6km 走る。今日は苦しくなかった。帰宅して夕食を食べる間もなく再び伊那中央病院へ。今日は夜7時から小児一次救急の当番なのだ。先週の日曜の夜も当番だった。8人診た。今日は発熱の子供ばかりで10人診たが見切れず、残りの4人は救急部の北澤先生と研修医の先生が診てくれた。慣れなくて時間がかかってばかりで、ご迷惑をおかけしスミマセン。午後10前、疲れ切って帰宅。

10人のうち、フル迅速検査:A型陽性(すなわち新型インフルエンザであるということ)は2人。箕輪町のブラジル学校に通う女の子と、同じく箕輪中部小学校1年生の女子。この2つの学校では、新型インフルエンザが流行しつつあるのだ。先週、当院でも同校から患者さんが出ている。その他、辰野町新町保育園、伊那市上の原保育園つくし組で流行が始まっている。あ、それから伊那東部中学校の3年生でも出ている。いよいよ伊那でも本格的な新型インフルエンザの流行が始まった気配だが、この連休が学校閉鎖の役割を果たしてくれるから、一気に感染は広がらないだろう。

しかし、伊那中央病院の救急外来が発熱の子供でごった返すのは、ちょっと考え物だ。今日も受診した親御さんに訊いてみると、もし新型インフルエンザだったら大変なことになる(子供の命にかかわる)から、一刻も早く受診しなきゃ、と思って来ました。みなそう言った。でも、高熱が出てたかだか2〜3時間では、フル迅速検査をしてもまず出ない。特に新型インフルエンザ・ウイルスは咽頭での増殖速度が遅いみたいで、発熱後12時間〜24時間経ってようやく陽性になるケースがけっこうあるのだという。

だから、発熱後直ちに救急外来を受診しても無駄なのです。ここが大切! 新型インフルエンザに罹患した子供たちをみていると、そのほとんどが症状は軽い。タミフルもよく効く。何も恐れることはないのに、みな戦々恐々としている。でも、ゆっくり構えていればいいのです。ただし、呼吸困難、意識障害、けいれんなどがある時には重症化する怖れがあるので、直ちに小児科を受診して下さい。

 『ROAD TIME / Toshiko Akiyoshi - Lew Tabackin Big Band』(BVCJ-37501/2)  2009/09/19 

■先だって松本の「ほんやらどう」で入手した中古盤の中で『NOWADAYS』吉田美奈子&渡辺香津美に次いでよく聴いているのが『ロード・タイム/秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド』(紙ジャケ・2枚組CD)の Disc2 のほうだ。コンテンポラリー・ビッグ・バンド・ジャズの音を確立したのが、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドだと言ってよいと思う。独特の畳みかけるようなブラス群のスピード感あふれるアンサンブルと、哀愁に満ちたテーマ。職人芸のような実力派揃いのメンバーによるソロの応酬。もちろん、主役であるところのルー・タバキンが、テナーで、フルートで変幻自在のソロを取る。とにかく聴かせどころがいっぱいだ。隅々までコンダクターの統制が取れてコンパクトにまとまっているのだけれど、でも何十人もメンバーがいるかのようなダイナミックなサウンドが広がる。しかも、もの凄くスウィングしている。

ナマで一度聴いてみたかったなぁ。ぼくが一番好きなビッグ・バンドのCDは、カウント・ベイシーの『ベイシー・イン・ロンドン』なのだが、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドは、カウント・ベイシー以上にスウィングしているかもしれない。このCDを聴くと、ほんとそう思う。

■じつはこのCD、レコードでは持っていなかったのだが、さんざん聴いた記憶がある。あれは、1982年だったか? 筑波に3軒目の「ジャズ喫茶」が、当時ぼくが住んでいた谷田部町春日3丁目の近くにオープンした。学園西大通りを医学専門学郡棟側へ1本東に入った通り沿いの左手に黒っぽい超モダンな外観のしゃれた3階建?で、それが「ロードタイム」だった。ぼくは、同じ「学都里荘」に住む佐久間君の自転車を勝手に借りては、よく行ったものだ。リンク先にも書いてあったが、えらく年の離れた夫婦だったな。

奥さんは決して「ものすごい美人」ではなかったと思うが、五輪真弓(今で言えば superfly か)のようなストレート・ロングの黒髪のスレンダーで清楚な感じの女性だった。禿頭で顎髭のマスター(当時すでに50代だったか)とは不釣り合いな不思議な夫婦だったな。あの頃のぼくは、ほとんどアルコールがダメだったので、「ロードタイム」でカレーとビール中瓶を注文しては2時間ぐらいねばって、頭ガンガンで二日酔いになっていたものだ。でも、奥さんが作るカレーは旨かったなぁ。あの佇まいで右手にカレーの皿を持ち、ぼくのテーブル横まできて「おまたせいたしました」と静かに言われた時には、うぶな青年はかなりドキドキしたものだ。

ここのマスターは、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド の大ファンだった。だから店の名前が「ROAD TIME」なのだ。コンサート・ホールに置くような超大型スピーカー(JBLだったか?)から、毎夜大音響で「秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド」が本物以上にリアルに鳴っていた。都内にはあんな凄い店はなかった。ちょうど、一関の「ベイシー」をモダンにしたような感じとでも言えばよいか。グーグルで検索しても、この店のことはほとんど出てこない。たぶん、ぼくが卒業して1年も経たないうちに潰れてしまったんじゃないか? インターネット上には知りたい情報がなんでも存在するように錯覚していたが、ぼくが本当に知りたい情報は、案外ぜんぜんアップされていないのだね。さびしいものだ。

 『チーコのくれた宝物 こねこの物語』文・絵 江口みつおき (銀の鈴社)  2009/09/17 


■絵本『チーコのくれた宝物 こねこの物語』文・絵 江口みつおき(銀の鈴社)■


 今年の3月のこと、一冊のステキな絵本が届きました。『チーコのくれた宝物 こねこの物語』です。ぼくら絵本好きの小児科医が全国から集まって作った『小児科医が見つけた えほん エホン 絵本』(医歯薬出版)を手にした作者が、ぜひ読んでみてほしいと、わざわざ贈って下さったのです。著者の名前を見て驚きました。えっ?「江口みつおき」って、もしかして信州大学小児科の大先輩で、獨協医科大学小児科教授であられた江口光興先生のこと? 慌てて巻末の著者紹介を読むと、果たしてその通りでした。更に驚くべきは、文章だけではなく絵もすべて江口先生が描いていらっしゃるのです。

 ぼくにはいつも決まった絵本の読み方があります。まずは絵だけを見るのです。文章は読みません。優れた絵本には、絵だけで語りかけてくる力があるからです。直ちに惹きつけられたのは、5ページの満開のツツジの下で泣く子猫の絵でした。何とも淡くやさしい色を使って、愛くるしい子猫が描かれていました。この絵がじつにいい。

 子猫はチーコと名付けられ、愛をいっぱい注がれて育ちます。飼い主と森のアトリエを訪れたやんちゃなチーコは、窓から飛び出して森へ冒険の旅に出ます。22、23ページでウサギやリスと楽しそうに遊ぶチーコの表情がこれまたいい。このページがあるから、迷子になってアトリエにも町の家にも帰れなくなってしまったチーコが、ひとり淋しく夜空に浮かぶ月を見上げるその後ろ姿(表紙になった絵です)に、読者は心震わすのではないでしょうか。

 この絵本は、決してハッピーエンドのおはなしではありません。でも、ちゃんと救いがあります。子供が好む物語には、その基本構造において共通点があると言われていますが、それは、主人公が「行って帰ってくる物語」であるということです。この絵本でも、変則的ではあるけれど、ちゃんとその約束が踏襲されています。


 さらには、愛する家族を喪う悲しみを抱え、喪の作業を通じて、それでも生きてゆく人間の営みのことも考えさせられました。『愛する家族を喪うとき』(講談社現代新書)の中で著者の保阪正康氏はこう書いています。「愛する人を喪うという意味は、単なる他者の死ではなく、その愛する人のなかに存在していた自己が消滅することでもある。だからこそ、愛する人を喪うことによって、自らのこころの中に占めていた愛する人への思いと同時に、愛する人のなかに存在していた自己を失った悲しみとの相乗効果が生まれるのではないだろうか」と。なるほど鋭い考察だと思います。しかし、いつまでも悲しみの底に沈んでいては、人間は生きてゆけません。さらに保阪氏は同書の後半でこう言っています。「なんとか愛する人の死を納得する方法、という枠内にアメリカだろうが、ヨーロッパだろうが、そして日本だろうが、その文化や宗教上の違いをこえて人間そのものに共通する言葉があるように思う。私自身、愛する人(息子)の死という悲しみに出会って、辿りついたひとつの地点が、<あなたの最愛の人は今もあなたのこころの中に生きているのです>という言葉である。あなたの記憶の中に、あなたの意識の中に、あなたの『愛する人』は生きているというのは、人類に普遍的な癒しの原点ではないだろうか」と。

 このテーマを扱った有名な絵本があります。『わすれられないおくりもの』スーザン・バーレイ作、小川仁央訳(評論社)です。この絵本が一躍脚光を浴びたのは、聖路加国際病院小児科部長、細谷亮太先生の著書『いのちを見つめて』(岩波書店)の巻頭に掲げられたエッセイ「りょうた君」の中で取り上げられたからです。この本は現在絶版ですが、『小児病棟の四季』と改題されて岩波現代文庫から出ていますので、ぜひ読んでみてください。

 それにしても不思議に思うことは、江口先生も細谷先生も、小児がんや小児白血病の治療に長年最前線で携わってこられた先生であるという共通点です。そこには、子供たちの命を見つめて診療を続けてきたベテラン小児科医でしか到達できない深い慈しみと優しさがあふれているように思えてなりません。
(「信州大学医学部小児科同窓会報」投稿中)

 アルティックのスピーカーが「でーん」と設置されていた「ジャズ喫茶」たち(その3) 2009/09/15 

■昭和52年にオープンした渋谷百軒店の「ブレイキー」は、1986年改訂版『季刊ジャズ批評別冊/ジャズ日本列島61年版』には載っていない(55年版には載っているのに)。ぼくが卒業した昭和58年には、たしかもうなくなっていた。儲からないジャズ喫茶を経営維持することは大変なことなのだ。ところが、昭和44年4月に開店した八雲町の「嵯峨」は、なんと今も現役で営業を続けている。今年で40周年を迎えた。凄いな。嵯峨のマスターとママさん、その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。

■アルティックのスピーカーで有名だったジャズ喫茶といえば、門前仲町の「タカノ」があったな。岩手県一関の「ベイシー」と双璧をなす、ジャズ・オーディオファンの聖地だった。ぼくも1回だけ行った。ロリンズが鳴っていた。メガネの奥から睨めつけられているような怖い顔をした(でもホントは優しい)店主の高野さんも亡くなってしまい、今はもうない。京都には、御所北側の同志社大学の近くに「52番街」があった。 ALTEC A7 がドデカい音で鳴っていた。京都で一番有名なジャズ喫茶と言えば、河原町の「しあんくれーる」だ。しゃれた女性のイラストのマッチと、高野悦子『二十歳の原点』に登場することで知られる。2Fにあって、スピーカーはJBLだった。その時、ぼくがもらったマッチは今でも納戸のどこかに保存してあるはずだ。

仙台の「カウント」(ALTEC A5)へは、仙台出身の同級生、菊池君の家に泊めてもらって訪れた。秋田には、土蔵をジャズ喫茶に改装した「ロンド」があった。ここもアルティック。この店で初めて、ビル・エバンスの「You must believe in Spring」を聴いた。哀切感あふれる、何とも美しいピアノの音がした。旅から帰って即レコード屋さんに直行したことは言うまでもない。そして今では、A面の「We Will Meet Again」と、B面の「M*A*S*H のテーマ」がお気に入りの、ぼくの大切な1枚となったのでした。

 アルティックのスピーカーが「でーん」と設置されていた「ジャズ喫茶」たち(その2) 2009/09/11 

「嵯峨」(北海道 山越郡 八雲町)■

高遠ブックフェスティバルの「ブックツーリズム」で思ったのだが、ぼくが学生の頃には「ジャズ喫茶ツーリズム」というのがあった。1980年に『季刊ジャズ批評 NO.35/ジャズ日本列島55年版』が出て、ぼくはこの雑誌をリュックに入れ、常磐線まわりの上野発夜行急行列車「青森行き」に乗って、何度も東北地方をひとり旅した。あの頃、奥州藤原氏の平泉中尊寺金色堂の栄華を思わせる、独自の東北ジャズ文化が花開いていて、県庁所在地はもとより、片田舎の小さな町にもジャズ喫茶があった。例えば、岩手県大槌町の「クイーン」、陸前高田市の「ジョニー」。どっちも行ったなあ。この雑誌には全国各地のジャズ喫茶が地図入りで紹介されていたから、ぼくの旅は、観光よりも見知らぬ町のジャズ喫茶を訪ねてまわることがメインになっていった。ジャズ喫茶のマッチはみんな凝ったデザインで個性的なものが多かったので、当時は店を訪れた証拠に、全国のジャズ喫茶のマッチを収集して歩くというのが流行?していたのだ。

あれは、何回目の東北だったか? 寒かったけど真冬じゃなかったな。早朝青森駅に着いて、ふと、折角だからこのまま北海道まで渡ってみようと思った。青函連絡船に乗って函館へ。函館にはJBLパラゴンが鳴るジャズ喫茶「バップ」があった。硬派の店主、松浦さんがいた。「ファラオ・サンダースが大好きなんです」と言ったら、「ファラオ、いいねぇ」と、You've Got To Have Freedom をかけてくれたように思う。あの頃の旅の宿泊場所は、みなユースホステルだ。函館、大沼、江差のユースに泊まってお金がなくなり、それ以上北へは行けなかった。そうして、北海道最後の夜を八雲町の「嵯峨」で迎えたのだ。

大沼公園から函館本線で八雲まで行ったのか、江差からバスで八雲入りしたのか、今ではまったく記憶にないが、八雲町に着いた時はまだ明るい時間帯だった。駅弁の「イカめし」で有名な函館本線・森駅と長万部とのちょうど中間に八雲町はある。道南地方の小さな町だ。駅前の国道を右へ少し行くと左側に「珈琲屋 嵯峨」はあった。外から見ると、どの町にもある駅前の純喫茶という風情。でもその中味は、定食屋でありファミレスであり、気の利いた呑み屋でもあるのだが、本当は ALTEC A7のでっかいスピーカーが鎮座する、北海道では知らぬ人のない有名なジャズ喫茶なのだった。

店に入ったぼくは、腹が減っていたから、たぶん何か食べ物を注文したはずだ。ナポリタンだったのかもしれない。札幌発函館行きの夜行急行が到着するまでまだまだ時間があったから、ぼくは食事を済ませた後もコーヒーをおかわりして店内に居座りねばっていた。何時しか他のお客さんは誰もいなくなっていた。夜9時を回ったくらいだったか、店置きのスイングジャーナル・バックナンバーを読んでいた僕のテーブルに、突如「どん!」とサントリーオールドのボトルが置かれたのだ。「えっ!?」ビックリして見上げると、マスターの成田順一さんが正面に立っていて、ニカッと笑いながらこう言った。「おい! 真面目な学生さんよ、飲もうぜ!」

本当は店仕舞いしたかったんだろうなあ。でも、嵯峨のマスターと陽子ママは、貧乏学生が待つ夜行列車が八雲駅に到着するまで付き合ってくれたのだ。もちろん、酒はマスターの奢りだ。有り難かったなあ。いろんな話をした。好きなジャズメンのこと、医学生であること。いま、書きながらふと思い出したのだが、あれは大学6年生になる前の春休みだったんだな。「じつは悩んでいるんです。将来、何科の医者になるべきか。親しい友人は皆、精神科を目指しているらしい。でもぼくは、違う道を進みたいんです」 そしたら、マスターはこう言った。「なら、小児科医になりなよ。この八雲町にはさ、小児科の医者がいないから、国家試験に通ったら北海道に来な」

あ、だからぼくは小児科医になったのか! 忘れていた記憶がいま甦った。あの日、深夜12時を過ぎて八雲駅にぼくが向かうと、何と嵯峨のマスターとママが二人して八雲駅のホームまでいっしょに来てくれて、ホームで僕を見送ってくれたのだ。「おーい学生さん、頑張って小児科の医者になれよ〜!」 かすかな記憶の向こうに、嵯峨のマスターの声が響いていた。

 アルティックのスピーカーが「でーん」と設置されていた「ジャズ喫茶」たち     2009/09/09 

■大学生の頃は、憧れのスピーカーだったな、ALTEC。あの頃、一番よく聴きに行った「アルティックのスピーカー」は…… 渋谷道玄坂を円山町方面へ右折して、百軒店の道頓堀ヌード劇場を右手に坂を上ると正面がカレーの「ムルギー」で、その左が「音楽館」。外までジャズの大音響が鳴り響いていたな。百軒店をさらに進むと、左手に「スウィング」があって、突き当たりを右折して奥に進むと右に「ミンガス」、狭い道路をはさんで左の建物の2階が「ブレイキー」だった。

その、渋谷百軒店のジャズ喫茶「ブレイキー」に通ったんだ。五分刈りで黒縁メガネのマスターが一人いて、ALTEC 612C monitor をマランツのアンプでガンガン鳴らしていたな。黒すぐりジャム入りロシアン・ティーとサンドイッチのセットが安くて美味しかったので、よく注文した。そうして、薄暗い店内にじっとガマンして坐って、いつも2時間〜4時間くらい居たかな。ジャズの修行だった。ぼくは、このジャズ喫茶「ブレイキー」で、ジャズの「いろは」を教えてもらったように思う。(だから、ちょっと偏っているのかなぁ(^^;;)

■そうこうするうちに、筑波にもジャズ喫茶ができた。野口さんがマスターの店「アクアク」だ。たしか、天才アルトサックス奏者の阿部薫が死んだ一周忌に、平砂学生宿舎奥にオープンしたから、1979年9月9日のことだ。おぉ、何と! 30年前の「今日」ではないか! 驚いたね。 当時大学3年生だった僕は、当然入り浸りになった。でも、ここのシステムは JBL4343だったかな。マスターの野口さんには、ほんとお世話になった。義理を欠いてばかりでスミマセン。お元気ですか?

その後しばらくして、筑波に2軒目のジャズ喫茶が芸術学群棟の東側にできた。「Mr.T」だ。コンテンポラリーのLP、ハンプトン・ホーズ・トリオ vol.3 のジャケットを飾った、テーブルに坐って足でビートを刻む、ごきげんなワニを、そのまま看板に掲げていた。マスターの名前は忘れちゃったなぁ。地元の人で、「おめぇ、そうだっぺよぉ!」っていう感じで会話する、ちょうど、桂文楽の「酢豆腐」に登場する若旦那にそっくりなイメージの人だった。たぶん、若旦那の道楽商売だったんだろうね。ぜんぜん違っていたらごめんなさい。

ここのスピーカーが、ALTEC A8 っていう不思議なスピーカーだったのだ。ちょうど一番有名な ALTEC A7 を縦に2倍に拡張したような感じの無駄に縦長のスピーカーで、たしか真空管アンプで鳴らしていたが、あまりいい音ではなかったな。ここでは、ウエストコースト・ジャズがよくかかっていて、ここのマスターは村上春樹氏と同じくスタン・ゲッツが大のお気に入りだった。(つづく)

  『NOWADAYS』吉田美奈子&渡辺香津美     2009/09/07 

■前回、ALTEC LANSING orbit iMT237AA をベタ誉めしてしまったが、それ見て思わず amazon でボタンを「ぽちっ」と押してしまった人がいたならごめんなさい。いつも言っていることだが、ぼくの言うことは大げさなので「話1/3」くらいで評価していただければちょうどいいのだ。だから「とってもいい音する。低音の出方が出色!」って書いてしまったけど、4cm口径のオモチャのようなフルレンジスピーカーにしては、という文章が抜けていました。ごめんなさい。しかも、iTunes のイコライザーを手動で調製して、という文章も抜けていたかな。ごめんなさい。

実はわが家には、iPod 用のスピーカーが既にあったのだ。それは、iPod HiFi。これはアップル純正の商品だが、知らないうちに製造中止になっていた。オーディオ装置として実に真面目に設計されていて、非常に完成度が高い。アップルは「オモチャ」じゃ嫌だったんだね、だから妥協はしなかった。その結果、とんでもなく重い携帯性の悪い製品が生まれたのだ。でも、確かに音はいい!

ぼくは、講演の時によく「音」を使うので、iPod と iPod HiFi を講演会場に持ち込む。でも、駐車場から会場まで離れている時は大変だ。時には、背中にギターケースを背負い、左腕には絵本がいっぱい詰まったトート・バックを担ぎ、右腕に MacBook が入った手さげを肩に掛け、右手でiPod HiFiが入ったケースを持つ。下手な筋肉トレーニング以上の効果が期待できるほどの重労働なのだ。

あと、携帯用DVDもよく使うので、つないだプロジェクターの貧弱な音声にガッカリすることが多いから、外付けスピーカーはどうしても必需品なのです。ただ、iPod HiFiは正直携帯には不向きだ。現在、ぼくのiPod HiFiは、診察室のベッドの下に格納され、深夜、診察室がオーディオ・ルームに変身した時だけ活躍している。だから、これからは「ALTEC LANSING orbit iMT237AA」を講演に、それから、上伊那医師会准看護学院の講義に持って行こうと思っている。百日咳の特徴的な咳(レプリーゼ)を聴いてもらうためにね、大いに活躍して欲しいものだ。中国製の「オモチャ」でもいいから(^^;;

■本日、松本の「ほんやらどう」で入手した中古盤の1枚に、『NOWADAYS』吉田美奈子&渡辺香津美がある。半年くらい前からずっと探していたのだ。ようやく見つけた。うれしかった。元々は、例によって「ここ」で読んだ記事。で、最重要チェックCDと相成ったわけ。そのCDを、寝室のSONY製携帯用DVDで orbit iMT237AA に繋いで聴いているところなのだが、これがイイ!のだ。確かに、吉田美奈子のネックは発音の悪さだ。以前、村上ポンタ秀一&佐山雅弘のピアノトリオをバックにジャズ・スタンダードを歌ったCDを買ったが、正直期待はずれだった。やっぱりジャズはちょっと無理なんじゃないの? そう思って、吉田美奈子を見くびった。

でも、でもでも、3曲目の「オーパス・デ・ファンク」たまげたぜ! 凄い! 凄すぎる。さらに4曲目、ビートルズの「エリナー・リグビー」にもシビれた。バックで多重録音のギターが切なく奏でられ、吉田美奈子の深い陰影と憂い富んだヴォーカルに、渡辺香津美はそっと寄り添い、またある時は激しく対抗意識丸出しに前面に出る。実にカッコイイ!

その次のジョニ・ミッチェル「青春の光と影」もいいな。発音いいじゃん! ダブル・テンポっていうの?違うか。ヴォーカルはゆっくりなんだけれど、ギターは忙しく細かくリズムを刻んでいる。ドアーズの「ハートに火をつけて」もいいけれど、僕はジャズファンだからやっぱり「COME SUNDAY」や「Sophisticated Lady」「MOOD INDIGO」「LUSH LIFE」それに、古い恋の唄「I Wish You Love」が好きだなあ。特に8曲目のこの曲では、渡辺香津美がエフェクターを駆使していて、何とも幻想的でノスタルジックな空間を醸し出すことに成功している。

聴けば聴くほど味が出る「スルメのようなCD」とは、まさに「このCD」のことを言うんだろうなあ。しばらく贔屓にしよう。そう言えば、「羊毛とおはな」の「千葉はな」は、吉田美奈子の大ファンなのだそうだ。

  Little Single, but Mighty Speaker / ALTEC LANSING orbit iMT237AA     2009/09/04 

■先だって、「高遮音性イヤホン」SHURE SE115 を amazon で購入したのだが、元々は Apple Store からのオススメメールに載っていた商品なのだ。このメールをもう少し下の方へ見ていくと、iPod 用の小型スピーカーが幾つか紹介されている。中でも「おっ?」と思ったのが「コレ」だ。ハンバーガーに喩えた人もいたが、ぼくには今川焼に見えた。何故かスピーカーが1個しかない。つまりは、今どきモノラルのスピーカーなのだ。でも、シングル・フルレンジスピーカーを上向きに設置することで音が360°広がるという仕組。これは逆転の発想だな。スピーカーは右と左2つでセット、それが当たり前だった。でも、携帯性に劣り設置も面倒だ。

そこいくと、この「今川焼スピーカー」を一つ接続するだけで、iPodの、MacBookの、SONY携帯DVDプレーヤーの音声が格段に向上する。モノラルなのに全く気にならないのだ。これはちょっと驚き。ただ、メールを見た時には全くぼくの触手は反応しなかったことも事実。「おっ?」っと思った(その2)は、iPhone を持ってもいないのに、毎日見に行くブログ MADCONNECTIONに、好意的な評価が載っていたからだ。と言うよりも、その携帯用ケースに惚れてしまったのかな。アルティックのモニタースピーカーの基本カラーである独特の「グレイ」を踏襲したケース。「これ、欲しい!」即座に思ったさ。アルティックの高級スピーカーは、JBLのスピーカー以上に雲の上の存在で、ぼくなんか到底入手困難なスピーカーだったのだ。そう、ちょうどマーチンのフォークギターと同じでね。

マーチンのトラベリングギターも、その「ロゴ入り」のケースが欲しくて購入したミーハーなので、あの、ALTEC スピーカーが4000円足らずで、しかもケース入りで入手できるとあらば、やっぱり即買いでしょう。で、例によって「ぽちん」とアマゾンのボタンをクリックしてしまったのでした。でも、結果的に大正解の買い物だったな。

まだエージングが進んでないのでイケナイが、このスピーカー、中国製なのにとってもいい音する。低音の出方が出色! たった今、MacBookで「Leonard Cohen Live in London」のDVDを見て(聴いて)いるところなのだが、ねくらのジイチャン、レナード・コーエンの渋い低音の歌声が実に心に沁みるのだ。彼は言うなれば日本の友部正人、アメリカのボブ・ディラン、もしくはウディ・ガスリーといった立ち位置の、カナダ出身の今年75歳になる詩人で、現役のシンガー・ソングライターでもある。

ぼくは、高校生の頃、伊那の平安堂レコード店で『ベスト・オブ・レナード・コーエン』というLPを買って、来る日も来る日もレコードをターンテーブルにのっけて聴いていた。田舎の高校生には、彼の難解な歌詩は難しすぎた。でも、そのシンプルなメロディは気に入った。特に「スザンヌ」という曲。名曲だった。それから、ジャニス・ジョプリンのことを歌った「チェルシー・ホテル#2」も好きな1曲だ。

しかし、暗いオッサンの歌を積極的に集めようとは思わなかったのか、レナード・コーエンのレコードは結局「この1枚」しか持っていない。ぼくが忘れ去った後に、この人、50歳を過ぎて突如ブレイクした。もともと、いわゆる「ミュージシャン's ミュージシャン」としてリスペクトされてきた人だが、ヨーロッパで人気が出たのだ。「ハレルヤ」という曲で。

  高遠ブックフェスティバル の評判記         2009/09/02 

■ぼく自身は、時間がなかったので「北條ストアー」の古書店出張販売とか、イベントのいろいろを見ることができなかったのだが、ググっていろんな人のブログを見ると、総じて好評を博した催しだったようだ。お天気にも恵まれたしね。今年の夏の終わりにしては暑かったけれど、雨にならなくて本当によかった。地元高遠の人たちも、さぞやビックリしたことだろう。だって、お花見の最盛期よりも高遠の街中は人、人、人であふれていたのだから。大成功だったんだろうな。よかったね。

以下に、ぼくが集めた評判記をリンクしておきます。

●乙幡 啓子 さんのレポート

  http://portal.nifty.com/2009/09/02/b/index.htm

●オヨヨ書林日誌 より

 http://www.oyoyoshorin.jp/d/?p=138

●「いたや酒店」の奥さんのレポート

 http://miki2188.blog47.fc2.com/blog-entry-400.html

●南陀楼綾繁さん のレポート

 http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20090829

●ふぉっくす舎 NEGIさんのレポート

 http://d.hatena.ne.jp/foxsya/

●Ray さんのブログ

 http://www.channelaso.co.jp/ray/2009/08/ubntfxebo.html
 http://www.channelaso.co.jp/ray/2009/08/bookwormqa.html

●「イナカラ」とよ田キノ子さん のレポート

 http://kinokosha.exblog.jp/tags/高遠ブックフェスティバル/

●まぐのおはなし

http://magslife.naganoblog.jp/e305608.html

●西荻看書詩巻

 http://soezou.cocolog-nifty.com/blog/


■この企画の陰には、100人の無償のボランティアがいたのだという。さらには、長野県から500万円の補助金を獲得してあるとのこと。これだけのお金を県から引き出すには、どれくらい厚い(熱い)企画書を書く必要があるのだろうか? ちょっと訊いてみたいものだ。じつは、ぼくも「パパ's 絵本プロジェクト」の企画で、「全国パパズ・絵本サミット」を、高遠で開催しよう! と計画しているところなのだ。でも、お金を出してくれる人(企業・行政)はいない。それでもいつの日か、日本各地の絵本を読む父親たちとその家族が集まって、情報交換ができる場が持てたらいいなぁと思っている。小さな泊まり込み集会でいいから、なんとかお金をかけずに実現できないものか?

でも、やればできるんだね! そういう自信を分けてもらったかな。こんなに大規模なイベントはとても無理だけど、おいらも頑張ってみよう(^^)!




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